1980 - 1989:カウンターカルチャーとしてのストリートファッション
「若者」が初めて「世代」として共同体的な連帯感をもち、「大人」に抵抗しようとした70年代が、日本における「ストリートファッション」の幕開けだとすると、70年代後半は、先行する価値観を否定し、その対峙的な立場に立つことで、新しいスタイルを提唱するようになっていった。80年代前半は、「消費社会」を背景に、ニュートラやハマトラ、プレッピー、JJ・ポパイなど、「大人」のライフスタイルへの憧れが先行した。なかでも、ロールモデルは、アメリカの大学生のライフスタイル。『POPEYE』などを筆頭に、“American way of life”を紹介する雑誌が続々登場した。80年代半ばになると、80年代前半=70年代後半を否定するように、再び「若さ・変化」のカウンターカルチャー(子ども)なスタイルを本質とするような事象が目立っていった。まず、海外の模倣ではなく、初めて日本独自のファッション、「DCブーム(デザイナーズとキャラクターの略)」が台頭した。70年代後半のトラッド世代(団塊の世代)から逃れようとした次の若者世代(新人類世代)がその担い手となった。2つの若者世代との共通点は、記号操作能力に長けていること。その後の「ボディコン」や「イタリアンカジュアル」「ヒップホップスタイル」など、次々と新しいカルチャーが輸入され、商品化され、若者は「消費」しつくしていった。
ハマトラ
1980
70年代後半に神戸より始まったエレガンスファッションが80年代に入り、横浜を中心にカジュアルダウンしたスタイルが流行。横浜トラディショナル=ハマトラとして雑誌『JJ』にて紹介されたのをきっかけに一般化した。
ジャパニーズプレッピー 1
1981
女子大生ファッションが席巻する一方、男子大学生のあいだでは、名門私立校(preparatry school)の制服をルーツとするエンブレム入りのブレザーやカーフディガン、ボタンダウンシャツ、ローファーといったトラッドアファッションが人気に。プレッピーファッションとして浸透した。
カラス族
1982
全身真っ黒のカラス族は台頭。DCブランドの全盛期が訪れる。川久保玲と山本耀司がパリコレでデビューし、『an・an』や『POPEYE』など、マガジンハウスの雑誌が大人気に。
ジャパニーズプレッピー2
1982
プレッピーファッションが20代を中心に大流行。『チープシック』(草思社)や、『オフィシャル・プレッピー・ハンドブック』(講談社)などの関連するムック本も多数リリースされ、ファッションが日常生活(ライフスタイル)の一部として認識されるようになった。
東京渋谷公園通り
1983
1980年代に入り、渋谷公園通りは若者が集まる街の代名詞に。平日は他の街で働いているOLさんも休日は渋谷の街でブラブラ歩きを楽しむようになる。
新人類世代 / 女子大生 1
1983
女子大生ファッションが流行の中心に。雑誌『JJ』の後を続けと小学館からは『Cancam』が創刊(1982)。
ニューウェーブ
1983
音楽もファッションもニューウェーブへと移行。パンクブームが終わり、音楽もファッションもニューウェーブの時代へ。音楽のエッセンスが表現されたファッションが人気を集める。
ピンクハウス風オリーブ少女 1984
1982年にマガジンハウスから創刊された雑誌『olive』が提案する少女性のかわいいファッションが短大生や一部の高校生に支持され、その後一大ブームに。初期は1984年ごろからの大きな襟やフリル、リボンといったディテールや赤やピンク、白などのボリューム感ある乙女なファッション。同じく彼女らに人気のブランドPINKHOUSEも1982年に株式会社として独立した。
キャラクターファッション / チェッカーズ
1985
80年代はアイドル全盛期。聖子ちゃんカットをはじめ、ティーンズの間で歌手やタレントのヘアスタイルやファッションを真似するのが大流行。このころ、男子にはチェッカーズのファッションやフミヤのヘアスタイルが大流行した。
オリーブ少女
1986
このころ雑誌『olive』がティーンズのバイブルとなり、パリジェンヌのファッションやライフススタイルに憧れ、手づくりや古着、雑貨などファッションの概念を拡張した。写真は、原宿の路上で販売されていたリボンが気になっている少女2人組。ビッグシルエットにクラッシュデニムのファッションも当時のパリジェンヌがお手本。
ティーンズのモノトーンファッション
1986
80年代後半になると、パリジェンヌが得意な黒×デニムのファッションが流行。新人類世代が大人っぽくなる一方、団塊ジュニア世代(ティーンズ)のあいだではカジュアルなビッグシルエットの黒いMA-1が大人気となった。
ワンレン&ボディコン
1987
DCブランドブームの反動から女性を中心にセクシー性をアピールするワンレングス・ヘア&ボディコンシャスなスタイルが一般化。
JJソフィス
1988
雑誌『JJ』が育んだ「女子大生ファッション」は、80年代後半になると「大人の女性ファッション」へと進化していった。“脱JJ”のキーワードとなったのは知性と個性を内包するソフィスティケートされたDCファッションだった。ブランドではジュンコシマダ、モガ、ゼルダ、インゲボルグ、シャネル、ルイヴィトンなどが人気に。
渋カジ/前期_シンプルデニムスタイル
1988
団塊ジュニア世代の私立高校生に渋カジが流行。渋谷に集まる私立高校生を中心に、紺ブレにリーバイス<501>のデニムといった上品なカジュアルスタイル「渋カジ」が流行してくる。TVドラマの“W浅野”が大人気に。
スポーツファッション
1989
団塊ジュニア世代がストリートファッションの主役になり、カジュアル化に拍車。エアロビクスが日本に初めて紹介され、オリビアニュートンジョンの「レッツゲットフィジカル」なども人気になり、スポーティなファッションが街に溢れた。
渋カジ/後期_紺ブレとブルージーンズ、白いシャツ
1990
”何を着るか”から”どう着るか”の時代へ。シャツにデニムというシンプルなスタイルにブランドバッグやスカーフで上質感をプラス。ファッション=コーディネートという考え方が街に浸透。
1990 - 1999
80年代前半のDCファッションを否定するように、80年代末は「若さ・変化」ではなく「成熟・安定」を志向するようになっていった。「ボディコン」は、男なみに仕事や遊びに励む“Hanakoさん“にみる女性上位の時代を象徴し、「渋カジ」は、ストリートの主役である若者が、新人類世代から団塊ジュニア世代へとバトンタッチされたことの記号でもあった。「渋カジ」とは、90年前後は、B.C.B.G.の日本的解釈から広まった「山の手ファッション」が渋谷周辺の高校生や大学生を中心に独自に形成されていったスタイルの呼称だだ。担い手となったのは「団塊ジュニア世代」。ストライプのシャツにインポートジーンズ、大型のルイヴィトンのバッグ+モカシンといった、“アメリカンカジュアルな定番アイテムを品良く着こなす”のが特徴だった。また、80年代のDCブランドブーム以降の人々の基本的なファッションへの価値観が「何を着るか」から「どう着るか」へと変換した時期でもあった。その後、さらにトラッド色が強くなり、ラルフローレンの金ボタンの紺色のブレザーにリーバイスのジーンズ501という「渋カジ・後期」が台頭。秋冬になると、アウトドアやスポーツブランドを取り入れたワイルドな「渋カジワイルダー」へと進化していった。ウエスタンブーツやシルバーやターコイズのアクセサリー、ロングヘア、サングラスが人気となり、キムタクや吉田栄作などのトレンディドラマなどでも多用され、全国的なファッショントレンドとなった。「渋カジ」がその実態をすっかり失った91年の冬になると、男の子の流れとは別に、女の子は「BCBG」(90年)からくしゅくしゅソックス+ショートブーツを典型的なスタイルとする「パラギャル(パラダイス・ギャル)」が登場した。MCMやレスポートサック、LAギアといったアメリカのブランドが大人気となり、カラフルな色使いが特徴の西海岸の女の子のスタイル「LAギャル」へと進化していった。92年、一転してモノトーンがベースの「フレンチカジュアル」が台頭する。アニエスb.のスナップカーディガンやバレッタ・アップ・ヘア、リブ編みカットソー、革ヒモペンダントなどが代表的なアイテム。根底にある“シンプルなアイテムを上品に着回す”という服に対する意識は、実は「渋カジ」と同じだった。90年代半ばになると、若者の主役はポスト団塊ジュニア世代=ヘタウマ世代となる。90年代を振り返ると「ストリートカルチャーの時代」だったといえる。なかでも、94〜95年を起点に、デザイナーやミュージシャン、フォトグラファー、イラストレターなど、新進気鋭の若手アーティストが台頭するようになり、インディーズブランドや、インディーズレーベル、リトルプレス、さらにはフリーマーケットなど、ものづくりや発表、販売などを自由に行う動きが盛んになった。東京コレクションにも新しいブランドが多数参加するようになり、オモテ舞台へと成長していくブランドがある一方で、ストリートにこだわるウラ原宿系ブランドも多数デビューした。また、80年代が女子大生が注目されたのに対して、90年代は女子高生や女子中学生、男子高校生などにスポットが当たり、「高校生がトレンドをつくる!」とマスコミは連日、渋谷・センター街で取材合戦。制服姿の女子高生で賑わった。女子高生を象徴するアイテム、白いルーズソックスが紺色のぴったりとしたものに変わった98〜99年ごろになると、女子高生→コギャル→ガングロギャルへと進化。郊外へと拡散していった。
フレンチカジュアル・女性
1992
フレンチカジュアルのブームは男性にも浸透。モノトーンで着回しがきくのがポイント。ブランドではアニエスbが大人気となった。
パラギャル
1992
コギャルブーム前史としてのパラギャルが登場。女性らしさの表現として、LA風のリゾートカジュアルが台頭。雑誌『JJ』が命名した”毎日がパラダイス”という意味の「パラギャル」誕生。
フレンチカジュアル・男性
パリジェンヌのファッションやライフスタイルへの憧れは、「フランス人の日常着」=フレンチカジュアルとして大流行。アニエスbやナイスクラップ、クーカイ、シップスなどが代表的なブランドで、ベレー帽や皮ヒモを首に巻くスタイルが流行した。
フェミ男/カマ男
1994
クラブミュージックの人気の影響もあって、70年代調のファッションも人気に。古着屋も全国各地に増加し、キャスケットやベレー帽、オデコ靴、スカーフなど小物使いにこだわる若者も急増した。
フェミ男/カマ男
1994
東京のストリートファッションが海外から注目されるように。洋服を自作したり、リメイクして個性を過激に表現する男子「カマ男 (フェミ男)」が急増。東京のストリートファッションとして注目される。
女子高生
1994
ミニスカートの人気が一般化し、スクールガール風ファッションがストリートでも人気に。
裏原系
1995
1993年、渋谷区神宮前4丁目を中心とした原宿の裏手の住宅街に、「GOODENOGH」(藤原ヒロシ)や「A BATHING APE」(NIGO)、「UNDERCOVER」(高橋盾)らがセレクトショップ「NOWHERE」をオープンしたのをきっかけに、この界隈にたくさんの一部の男子たちのあいだで、この界隈を“裏原宿”
シノラー
1996
電気グルーブの石野卓球プロデュースでデビューした篠原ともえのポップなカラーとディテールにハイテンションのキャラクターがティーンズの間で大ブレイク。安室奈美恵のアムラーにならって“シノラー”と呼ばれ、奇抜なカワイイファッションの一ジャンルとなった。
女子高生
1996
ルーズソックスのブームをきっかけに、「女子高生」がファッションやメイク用品、スナック、サービスなどの商品開発のリーダーに。各企業「女子高生マーケティング」に注力するようになった。
アムラー
1996
コギャルブームが細分化。「アムラー」が街に急増。小室哲哉の楽曲が第ヒットし、安室奈美恵の「ミニスカート+厚底ブーツ+ロングカーディガン」というファッションが大人気に。「シャネラー」から「アムラー」と呼ばれるようになった。
Text Caption
女子高生からコギャル
1997
1997年になると、茶髪やメイク、ミニスカートなど「女子高生スタイル」のディテールがエスカレート。美しい弓なりのアイブロウ「美眉」は渋谷に増殖したドラッグストアブランドで生成されていた。一方、そろそろルーズソックスから紺のぴったりとしたソックスに履き替える子も出てくるなど、東京渋谷においての「女子高生ブランド」はそろそろ終焉に向かい、地方へと拡散していった。
Angeler
1997
着物や和柄をデザインのコンセプトとしたブランド「卓矢エンジェル」が大人気になり、それを着ている人たち(または、真似て自分でリメイクしていたり)を“エンジェラー”と呼ぶようになった。
kawaii:和装かわいい
オリエンタルやエスニックのファッショントレンドは和装モチーフへと波及。着物柄の洋服はもちろんのこと、ティーンズには古い着物をアレンジした独特のファッションが人気に。
コンサバ女子
1997
コギャル世代が大人になり、コンサバ女子が増加。90年代も末になってくると「コギャル」世代の大人化が進み、ギャルの要素の入ったコンサバ系女子が街に増えた。
Kawaii: joshikosei
1997
女子高生やシノラーなどが、奇抜な色やデザイン、ヘンテコなモチーフの小物などを「カワイイ」と称して肯定するようになる。キティやドラえもん、叫びちゃん人形、大きな花などデフォルメされたカワイイがファッションと融合していった。
Kawaii: 女子高生
1998
90年代後半はすっかり「女子高生」がトレンドリーダーに。都内の高校の制服が男子は学ランからブレザーに、女子はセーラー服からブレザー&プリーツスカートへと軒並みリニューアル。日常的なファッションへの意識を後押しした。
ガングロギャル
1999
ガングロギャルのスタイルが、渋谷から地方へと波及。「コギャル」の一部が「ガングロギャル」へと進化。ウィッグにつけまつ毛に日焼けしたスタイルが、渋谷センター街から地方へと広がっていった。
裏原系女子
1999
「裏原系」が女子にも波及。リラックスカジュアルが流行。トレーナー+スキニーデニム+スニーカーというボーイズファッションがキャットストリートを中心に増加した。
ネオDC系
新世代デザイナーの登場と、裏原系ファッションの全盛。新世代のデザイナーが多数登場し、インディーズブランドブームへと発展。男子はリアルクローズの「裏原系」が増加。
2000 - 2009
70年代が団塊世代、80年代が新人類世代、90年代が団塊ジュニア世代とヘタウマ世代が若者ファッションとカルチャーをリードしていった時代を経て、00年代以降のストリートファッションは、世代を越えて支持されたものが目立った。社会人3~4年目、20代後半になった団塊ジュニアたちが、こぞって“ちょっといいもの”に目覚め消費し始めた99年。「上質なフツー」というキーワードを提唱した。「フツー」=基準値が変化。さらに、その下の世代、80年代前半生まれのウチら世代の若者たちが台頭。GAPやユニクロの都心進出で、“安くてほどほどの流行”をクリアし、“これでいいや”という服に対する価値観のボトムラインも変化した。また、ギャルを卒業した「ヘタウマ世代」の流入も手伝って、シンプルでユニセックスなファッション「らくちんカジュアル」にギャルテイストが混ざった「ギャルミックス」系へと進化した。さらに、00年代半ばから後半のプチバブル期をピークに、海外からのモードなトレンドを享受する「ファッションセレブ系」も台頭。同時に、ファッションにおいても、ソーシャルやエシカル、CSRなどへの関心も高まっていった。00年代後半には外資系ファストファッションブランドも続々上陸。服への意識や価格の概念が大きく変化した時代となった。
kawaii:ユニセックスかわいい
2000
2000年になると、一部のコギャルが「裏原宿系女子」とでもいうような彼氏と同じようなTシャツにスキニージーンズといったユニセックスなファッションをする女子が急増。雑誌『mini』も創刊され、ボーイズカワイイがトレンドに。
ギャルミックス
2000
小物のデザイナーが台頭し、ファッションの主役に躍り出る。靴、バッグ、アクセサリーのデザイナーたちにスポットを当てた小物類のセレクトショップが増加。個性的なデザインのものも増え、スタイリングの主役に、ますますコーディネートの時代へ。
kawaii:スポーツミックスかわいい
2002
ヘアメイクは女性らしさをキープしたまま、カジュアルでユニセックスなファッションが主流に。
セレクト系
2004
2000年前後にセレクトショップが相次いでオープンした「神南エリア」が若いカップルのブラブラ歩きのルートに入り、賑わうようになった。ビームスも増床し、ビルの2Fなど小さいスペースに古着+セレクトのショップもオープンするなどツウな若者で賑わった。
母娘
2005
母と娘がいっしょにショッピング。トレンドがエイジレス化。このころより渋谷パルコやルミネなどのファッションビルに母娘仲良くカジュアルな洋服を買いに訪れる「母娘ショッピング」が急像。
ディオールオム男
2006
2001AWよりエディ・スリマンがディオールオムのクリエイティブディレクターに就任したことはファッション好きの男子の大ニュース。2004年に創刊した雑誌『TUNE』(2015年に休刊)の人気も相まって、原宿はおしゃれでスリムな男子が急増した。
セレブ系
2006
ジャンルや世代の垣根がなくなり、ファッションもグローバル化。モードとストリートの垣根や、若者と大人の間のトレンド時差がほとんどなくなり、ファッションにもグローバリゼーションの波が到来。
ウチら世代の台頭
2006
「ウチら世代」の出現と、ストリートスナップブーム。個性的なデザインの洋服や小物が一般化。ストリートスナップを行うメディアが多数登場し、「見る、見られる」の関係性が曖昧になる。
団塊ジュニア(BB2)世代の大人化
2007
団塊ジュニア(BB2)世代の大人化。シンプルで上質がお好み。「渋カジ」世代が30代を迎え、結婚、出産も増加。素材や質感を重視したシンプルで「上質なフツー(新定番)」のファッションが人気に。
ギャル&ギャル男
2007
何よりも見た目重視な“age(アゲ)嬢”全盛期。ブランドよりも見た目重視のファッションが主流に。『小悪魔ageha』人気でギャルの一般化と共に、『men's knuckle』の人気に。渋谷を中心にギャル男も急増した。
ファストファッション系
2008
H&MやTOP SHOPなどファストファッションが本格的に上陸したことで、トレンド感あるファッションを誰もが手軽にできるようになり、一見おしゃれな“ファッション感“ある人が街に急増していった。
森ガール&森ボーイ
2009
SNSとスナップで繋がる斬新なファッションが登場。SNSが一般化し、ストリートスナップはコミュニティメディアに。個性的な人どうしの連鎖は早く、斬新なスタイルが専門学校生を中心に広がる。
2010 - 2017
時代はテン年代になり、国内外のファストファッションが浸透。「ストリート系(ボーイッシュ)」と「ギャル系」、「コンサバ系」と大きく3つの特徴が見られたストリートファッションが混ざり合い、「SWEET系(そこそこモードで可愛い)」へというスーパーミックスなファッションが台頭した。特徴は、「みんなと一緒のトレンドがいい」だった。2011年3.11の震災を経て、それぞれが自分自身の生き方や大切なもの、ことなどを見直す動きへとシフトチェンジ。世代を越えた“価値観”ごとの小さなグループ(トライブ)が、高円寺や秋葉原などのアニメやゲームといったサブカルチャーとファッションが融合したところにたくさん生まれ、都市部VS郊外、地方、国と言った従来の境界線を越えて繋がっている。
バイク(自転車)ブーム
2010
00年代以降の渋谷の街は、富ヶ谷や神山町、上原など、北西方向に周辺エリアに人や店、情報の流れが拡大していった。デバイスとなったのは、自転車(バイク)で、趣味や健康志向からライフスタイルへと進化し、ファッションにも影響を与えるようになった。
モテ系
2010
東京ガールズコレクションとモテ系女子大生の時代。『TGC」の一般化と共に、花柄のミニスカート、レース、サンダルなど女の子らしさ満開のカワイイ女子大生という保守的なトライブが増加。
新人類ジュニア世代
2012
新人類ジュニア世代は、ファッションもコスプレ感覚。ストリートの主役は1990年代生まれの新人類ジュニア世代に。ファッションはもとより、ヘアもメイクも日によって着替える「コスプレ系」が一般化。
シティボーイ 2013
マガジンハウスの雑誌『POPEYE』が、2012年6月号から「Magazne for City Boys」と創刊当初のコンセプトを掲げて大きくリニューアル。それまで主流だった「モテ」という他者視点ではなく、モノのもつ背景や品質から着こなしや着心地まで、「大人(上の世代)が下の世代に教えてあげる」→「学ぶ」という自分視点を促す編集コンセプトが新人類ジュニア世代に大ヒット。“シティボーイ”を標榜する男子が急増した。
ジャパノロジスト
2014
訪日外国人が1,000万人を越えた2013年ごろから「インバウンド」という言葉が頻繁に用いられるようになった一方で、留学生や長期滞在者、頻繁に来日する外国人も気がついたら増加.
双子コーデ/コーディネート
2014
自撮りのファッションスナップをSNSで公開する若者が増えたことで、SNSに映えるようなファッションも目立つようになった。複数で同じファッションをする「お揃いコーデ」も急増した。
スーパーミックス
2015
「アクロス」編集部は、ファッションのスタイルがすべて出た2000年を“ファッションのスーパーフラット”と定め、00年代以降は過去のスタイルのミックスの時代であるとしているが、10年代はさらにミックスが進行。かつてのようなファッションとライフスタイルの関係を表徴する名称の“何系”という括りでは語れない時代になった。
スーパーミックス
2015
「アクロス」編集部は、ファッションのスタイルがすべて出た2000年を“ファッションのスーパーフラット”と定め、00年代以降は過去のスタイルのミックスの時代であるとしているが、10年代はさらにミックスが進行。かつてのようなファッションとライフスタイルの関係を表徴する名称の“何系”という括りでは語れない時代になった。
エグザイル系
2015
2008年に文科省がダンスを中学校の必修科目としたこともあってか、ふつうにダンスを楽しむ若者が増え、国内外のダンサーのファッションをマネするグループも登場した。なかでもダンス&ボーカルグループのエグザイルは、自身のブランド「24karats(GOLD 24karats Diggers)」もリリース。それらを模したブランドも多数登場し、ひとつのファッションのグループを形成した。ファッションの特徴としては、“キレイめなお兄系”。
レトロ、クラシックスタイル
2016
2000年代生まれ=ミレニアム世代がストリートの主役になり、ヴィンテージの域となった昭和のファッションやデザインなどに憧れる若者が急増。レトロな色や柄のファッションが流行した。
ファッションエリート
2016
ミレニアム世代は、本人の志向性だけでなく、親世代のファッションやカルチャーの影響、センスが色濃く反映される「2世」の要素が強い。写真の2人のように、親がミュージシャンだったり編集者や美容師だったりなど、いわゆるギョーカイ人であるケースも少なくない。
モデル、ブロガー、インスタグラマー
2016
インスタグラム人気が一般化。大手から中小、個人オーナー、個人に至るまでがファッション情報を発信する時代になり、オンライン上での“見る、見られる”の空間も一般化。ポージングもファッションの一部に。
Japanese Millennial Generation
"Generation Y" is coming up to the Tokyo Street Fashion Scene. They love to wear high brand such as Off-White,
VETEMENTS, Palace, Gosha Rubchinskiy...