韓国民族の神話、韓国の「虎」

National Museum of Korea

国土の4分の3が山林である韓国には、古くから虎が数多く生息し、「虎の国」と呼ばれました。韓国民族の文明起源となる檀君神話は、熊と虎の物語から始まります。さらに、韓国は、「虎をあやつる君子の国」とも呼ばれ、毎年虎を祭る祭事が行われたと伝わるほど、虎とは深い縁で結ばれています。古代から朝鮮時代(1392~1897)に至るまで、「虎」に対する信仰と畏敬の念は、古墳美術の守護神として、仏教美術では山神の精霊として、絵画では君子と辟邪の象徴として表現されています。韓国美術での虎は、荒々しく咆哮するよりは、謹厳な表情やユーモラスな微笑を浮かべていることが多く見られます。その姿には、德と仁を重視する儒教的な価値観、そして楽天的で諧謔を楽しむ韓国人の情緒がそのまま反映されています。長い間、韓国人にとって、虎は神通力のもつ気迫溢れる霊物で、またユーモラスなイメージで親しみのある身近な存在でした。

百済(紀元前18~西紀660)の都、扶餘の羅城跡で発見された虎子(おまる)です。漢字では「虎の子」と書きます。虎の形をした男性用の移動式便器で、もともと春秋戦国時代から南北朝時代にかけて、中国の江南地域の上流階級が使用していたとされています。『西京雑記(せいけいざっき)』には、漢の時代に王が虎子を使用し、侍従がそれを持って付き添ったと記されています。また、神仙様が虎の口に小便をしたという伝説があり、その伝説にちなんで虎の形の男性用便器を作ったものと推定されます。
韓国には、三国時代の中国との活発な交流で虎子が入ってきました。ここに展示されているものは百済の都・扶餘で出土したもので、百済の王朝文化の一面を物語るものといえます。この土製の虎子は、後ろ足を曲げ、前足で上体を支えた状態で、口を大きく開いて左側を向いています。百済の虎子は、中国の虎子に比べると細かい表現は省略されているものの百済式にアレンジされており、中国から入ってきたものが百済に合うように変化した例と言えるでしょう。

頭から背中にかけて丸みのある把手がつけられており、持ち歩けるようになっています。

百済の虎子は中国のものとは異なり前足を立てており、使用する人が右手で虎子を持ったときに口の部分が人の方を向くようになっていて、より使いやすく作られていることがわかります。

顔は、瞳と鼻の穴を点で表し、眉と髭は線でシンプルに表現しています。

高句麗時代(紀元前37~西紀668)の墓である真坡里(チンパリ)1号墳に描かれていた白虎図を復元模写したもので、東京美術学校助教授だった小場恒吉(1878-1958)の作品です。真坡里1号墳は石室封土墳で、現在の平壌(ピョンヤン)市にあります。高句麗の人々は、真坡里1号墳の玄室の四つの壁面に漆喰を塗り、東西南北の方向に合わせてそれぞれ青龍、白虎、朱雀、玄武の四神を描いていました。
四神は四方を守る方角の神様で、「二十八宿」と呼ばれる28の星座が起源とされています。紀元前3世紀頃から、五行思想に基づいて28の星座を東西南北に7つずつ割り当て、それぞれに龍、虎、朱雀、玄武という動物を対応させました。その後、時代の変化とともに、四神の象徴する意味が次第に拡大し、漢の時代には邪悪なものを避ける辟邪の意味と、風水地理上の方角の神の意味が加わりました。4世紀頃からは、方角の神としての四神は道教にも受け入れられました。四神を墓に描くことで被葬者の空間を神聖視できると信じられていたからです。これは、後漢の時代の代表的な学術思想書である『風俗通義』で、虎が鬼を食べるとした考え方とも通じます。

この白虎図は、翼の付いた霊妙な獣としての白虎を描写しています。全体的に細長い胴体と脚、S字に曲がった首、前足のそばに炎のような形で描かれた翼などは、虎を神格化したイメージです。

また、白虎の背景にある五色の雲の中に花が舞っているのは、縁起の良い気運から生命体が変化しているところと解釈されます。白虎の表現がとても美しく洗練されていることや、舞い散る花の表現方法などから、この古墳は6世紀前半に造成されたものと推定されます。

この土製の十二支像は、1988年に慶州市内南面花谷里の墓の周辺で発見されました。この墓は被葬者が火葬されており、遺骨を収めた骨壺と、それを守るための石函(せっかん)が見つかりました。十二支像は、石函の周辺に配置されていたものです。石函の後方にあたる北側からは豚、鼠、牛、虎の像が見つかっており、離れたところからも兎、羊、猿、鶏、犬の像が発見されました。また、石函の南側に置かれていた龍、蛇、馬の像は工事中に失われ、現在9点だけが残っています。
統一新羅時代(676~935)に入ると、三国時代に道教思想とともに広まった四神と十二支の概念が、古墳美術に本格的に表現されるようになりました。十二支とは地を守る神で、時空を12に分け、12の方位と時間に12の動物を割り当てたものです。その動物は、ねずみ(子)、うし(丑)、とら(寅)、うさぎ(卯)、龍(辰)、へび(巳)、うま(午)、ひつじ(未)、さる(申)、とり(酉)、いぬ(戌)、ぶた(亥)ですが、ぶたは日本に渡ってイノシシになりました。墓を十二支で飾ったのは、墓の中を小さな宇宙に見立て、十二支がそれぞれの方位で死者の魂を守ると信じていたからです。

十二支像はいずれも薄い丸彫りの塑像で、動物の顔に人の体がついています。頭は右側を向き、両手を胸に置いて跪いた姿勢になっています。なかでも虎の像は、耳が短く、牙が目立ち、虎の特徴がよく表れています。

「山の王」として信仰された虎を擬人化した山神図、山の神の図です。雲と遠くの山を背景に、深い山奥の松の下で、うちわを手に持った山の神とわらべ、虎が描写されています。
仏教の『華厳経』には、山の神が仏法を守るという概念があります。仏教が民間信仰と結びついて土着化する過程を経て、山の神は仏教に受け入れられ、仏法を守る神となりました。それに伴い、18世紀半ばから後半以降、村のほこらなどに祀られていた山神図を寺に奉安するようになりました。朝鮮後期の山神図には、山の中を背景に老人や虎が描かれているものが多く見られます。老人が山の神であり、虎は神の使いであるとする見方もある一方、虎そのものが山の神であり、そばにいる老人が虎を擬人化した山の王様であると解釈されることもあります。

この山神図は、青空に描かれた装飾的な雲や、渓谷、松、点で描かれた苔など、民画風の背景描写が特徴的です。

丘の上には3本の松が描かれており、松の下にいる山の神は、宕巾(タンゴン)と呼ばれる帽子をかぶり、鳳凰などの装飾が施された赤い服を着ています。肩と腰に木の葉を垂らし、手にうちわを持った山の神は、頬のあたりまで伸びた長い眉毛と、胸まで届く髭がただならぬ雰囲気を醸し出しています。

山の神の隣には、髪を二つに結んだわらべが、払子(ほっす)と呼ばれる仏具を持って立っています。虎は目を剝き、口を開いて鋭い歯を見せています。

この龍虎図は、「双幅(そうふく)」という左右一対の掛け軸で、正月に邪気を払い福を招き入れるために、宮殿と官庁の門や大庁(テチョン)と呼ばれる板敷きの部屋にかけたものと見られています。龍と虎は四神を代表する縁起のいい動物で、よく一対で描かれます。この双幅は、縦横2mを超える大型のもので、それぞれ6枚の厚い紙を継ぎ合わせて1枚に仕立てており、上部は紙を折って輪の形にし、そこに紐をとおして屋外にかけられるようにしました。

虎の絵は、虎が山から下りてくる途中、ふと松の方を振り向き、雄たけびを上げる姿が描かれています。この絵は、現存する朝鮮の虎の絵のうち最も大きいだけでなく、筆や墨の使い方に大胆さがみられ、17世紀の伝統絵画と19世紀の民画をつなぐ作品とされています。

体は全体的に淡く黄色い色をつけ、毛皮は細い筆で入念に描写しています。目、鼻、口や爪などは墨で輪郭線を描き、白色と赤色、黄色で塗っています。一方、岩と松は、濃い墨と淡い墨でコントラストを強くし、太いながらもスピード感のある線の上に淡い彩色が加えてあります。

画面上部に丹念に描かれた松葉と松笠や、きれいに整った蔓の筆づかいなどから、作者が非常に熟練した画家であることがわかり、ひょっとすると画員と呼ばれる宮廷画家の作品かもしれないと考えられています。松の枝には番いの鵲が止まっていますが、このように虎と鵲を一緒に描いたものを「虎鵲図」と呼び、朝鮮でとりわけ好まれました。

龍は、雨と雲をもたらす伝説の動物です。龍の絵は超自然的で強力な神通力を持つとされ、王が臣下たちに新年を祝って授けた絵である「歲画」の素材として親しまれました。絵の中の龍は、黒い雲を突き破り、体を捻りながら天に昇る姿で描かれています。人の顔のようにも見える龍の豪放な表情や、重々しく写実的な黒い雲の表現、そして大胆な構成からは、朝鮮時代のほかの龍の絵とは異なる格調と作者の技量を感じることができます。  

右の後ろ脚の一部は波がうねる水に浸かっている状態で、これから水を蹴って飛び上がろうとする瞬間が表現されています。

朝鮮後期に描かれた虎の作品『猛虎図』です。紙に墨で描かれた虎は、歩きながら頭から向きを変え、目は正面を凝視しています。このような構図で山から歩いてくる虎の絵が描かれるようになったのは、中国北宋の時代の趙邈齪(ちょう・ばくさく)からです。朝鮮中期以降は、こうした猛虎図が多く制作されました。

この絵は沈師正(シム・サジョン)の雅号である「玄齋(ヒョンジェ)」の落款があることから一時期彼の作品と考えられました。しかし、画賛に「甲午(きのえうま)」という年を表す文字が書かれており、それが彼の活動年代と合わないため、作者未詳となっています。この作品の画賛と落款は後代のものと推定されます。

画面上の虎は細い筆を繰り返し一本一本の毛を精密に描くことで、びっしりとした毛の集約体として描かれています。虎の存在感は、線で輪郭を描いた虎とは次元の異なる、写実的で重厚な落ち着きが感じられます。一本一本細かく描かれた毛は、まるで、手を触れるとさらさらとした毛の感触が伝わってきそうなほど写実的です。このような緻密な描写は、虎の存在感を高め、見る側を絵に引き込む力を持っています。

画面の中の虎は、ひそかに通り過ぎる中突然方向を変えて目を剝き、正面を睨みつける威嚇的な姿勢で描かれています。こうした表現は、作品を鑑賞する観覧客に威圧感を抱かせるほど生き生きしています。また、上に向かってそそり立つ硬い髭や、迫力のある目つき、なめらかな動作に潜んだ威厳から霊妙な動物として神聖視されてきた虎が感じられる秀作となります。

『易経』には、大人君子(たいじんくんし)が立派な面貌となることを、虎と豹が秋霧の中に身を隠し換毛した後、一変する様子にたとえた一節があります。そのため、隠れた場所から出てくる虎は、「立派な容貌の君子」そして「世の中の過ちを正すために現れた人物」を意味することもありました。

朝鮮時代の18世紀に金弘道(キム・ホンド)が描いた2点の虎図です。朝鮮後期に描かれた観賞用の虎図のうち最も優れた傑作となります。
虎が山から現れる場面を描いた「出山虎しゅっさんこ」と呼ばれる類型でして、これは、百獣の王としての威厳を見せることで、厳しく正しい政治を勧める意味が感じられます。この虎図は、細筆で細かく描写した毛表現、そして虎と松の比例美が優れています。国立中央博物館蔵の『勇猛たる虎』とともに、金弘道のこの虎図は、朝鮮時代の人々が思う虎のイメージや威厳を画員様式によって生き生きと描き出した虎図の理想的な典型を示しています。

この絵は、松の下の虎を描いていますが、切り株を豪放に表現し、松の絵としても非常に優れた筆遣いを見せています。

この作品では、松下の虎を描いており。松横には「豹菴(ピョアム)が松を描く(豹菴.松)」という文言がありますが、彼の師匠として知られる豹菴姜世晃(カン・セファン、1713~1791)の画風と考えるには多少の疑問が残されています。

絵の完成度と格調がとても高く、とりわけ細い筆で入念に描写された毛の表現や、虎と松の比率の美しさが目を引きます。どっしりした重量感がありながらも敏捷そうに見える虎の勢いが伝わってくる、文人士大夫階層の趣向が反映された虎の傑作です。

この作品は、竹のもとで尾を立てて歩く出る虎の姿をよく描いた傑作です。

図の右上には、「朝鮮の金弘道が虎を描き、林熙之イム・ヒジ翁が竹を描き、黄基天が評する(朝鮮西湖散人畫虎, 水月翁畫竹麥山道人評)」とあり、金弘道と林熙之の合作であることがわかります。林熙之は、竹を描く腕前が豹菴姜世晃(1713~1791)に比肩すると評価されていた中人出身の文人画家です。竹は墨で豪放かつ大胆に描かれており、虎は一本一本の毛が丁寧に描写されています。

虎の白い眉と髭は、真っ直ぐ上向きになって、ぎょろっとした目で睨みつける虎の表情から緊張が感じられます。金弘道が山水画や風俗画、道釈人物画だけでなく、花鳥画や翎毛画にも秀でていたことを示す絵です。

朝鮮時代の19世紀末から20世紀初めの間に描かれた鵲虎の民画です。虎は座った姿勢のまま頭を前に向けて雄たけびを上げており、3頭の子どもを連れています。虎と鵲の横には、漢字が書かれていますが、1つは円を埋めつくすように、もう1つは円の中心部に空間を残すようになっています。
全体的に絵のすべての要素は、輪郭線に沿ってハサミで切って貼ったような平らな印象を与えており、虎の毛皮と三神山、松の枝などは工芸的にパターン化され、写実的な絵画というよりは呪術的なお守りのような雰囲気を帯びています。この絵の中の虎と鵲からは、恐怖や驚きの感情は読み取れず、むしろマスコットやキャラクターが与えるようなシンプルで強烈な視覚効果を感じることができます。
このように、神妙な動物としての呪術性を色濃く映し出す、お札(ふだ)のような雰囲気のこの作品は、民画となってその意味が拡張された虎鵲図の典型といえます。

絵の右上に「甲戌元旦 申在鉉写(きのえいぬ・がんたん、シン・ジェヒョン)」と書かれていることから、元日の朝に申在鉉が新年を祝って描いたものであることがわかります。

これは、それぞれ虎と鵲の様子を表していて、虎の横には「風の音は千里先まで聞こえ、高い崖に向かってほえると岩が裂ける(風聲聞於千里 吼蒼崖而石裂)」、

鵲の横には「虎が嘯く南山に鵲が集まる(虎嘯南山郡鵲都會)」と書かれています。虎の強さと破壊力を表したかのようなこの句は、猛獣としての虎のイメージを表しています。

また、絵の一角にある三山不老草と

蟬は、不老長生を願う気持ちを反映すると同時に、この虎が三神山という山に住む霊妙な動物であることを示しています。

そして、親の背中に乗った子どもの虎の横に書かれた「膝下孫」という文字からは、当時の人々が、子どもを育てる虎に慈しみ深さを感じ、虎を仁徳の備わった動物だと考えていたことがわかります。

「十二支神図」と「鵲虎」の絵が両面に描かれた12曲の屏風です。鵲虎は朝鮮時代によく描かれたテーマで、民画として制作されたものが多く残っています。19世紀以降、「猛虎図」のような士大夫たちに好まれた権威的で格式ばった絵は鵲虎の絵のようにユニークな民画にアレンジされ、民衆に広まりました。こうした朝鮮の鵲虎の絵は、虎の絵が民画として姿を変えていったということと、絵自体の意味が広がっていったということがよく表れている例といえます。民間に伝わった鵲虎の絵は、画風に幅広い変化が見られます。

この屏風には、鵲虎の絵で見られるあらゆる虎の姿が描かれています。松の上に止まった鵲を見ようと首をもたげている虎、

後ろを振り向いたり姿勢を変えたりしている虎、正面を向いている虎などです。虎の毛の模様は、縞模様、豹のような斑点、縞と斑点が混在する模様など、様々です。

また、第三扇には鵲がいなくて、たばこを吸う虎の前に2匹の兎が描かれているのが特徴的です。それまで虎の絵に多く登場していた山中の小川のほとりの背景が省略され、画面構成が虎、松、鵲と、単純でより身近になったほか、擬人化されてたばこを吸う姿で登場するなど、滑稽な虎へと変わっていきました。

屏風の反対側に描かれた十二支は、顔は動物であるものの体は人間で、ひだがたっぷりついた服を着てそれぞれ身を守る道具を持っています。第三扇に描かれている虎は、片手と片足を上げて攻撃的な姿勢をとっています。十二支のうち虎(寅)は、方角では東北東、時間では午前3時から5時までを指します。

十二支は地を守る神で、時空を12に分け、12の方位と時間に12の動物を割り当てたものです。その動物は、ねずみ(子)、うし(丑)、とら(寅)、うさぎ(卯)、龍(辰)、へび(巳)、うま(午)、ひつじ(未)、さる(申)、とり(酉)、いぬ(戌)、ぶた(亥)ですが、ぶたは日本に渡ってイノシシになりました。

朝鮮中期の武将、権応銖(クォン・ウンス、1546~1608)将軍を描いた肖像画で、宝物第668号になっています。権応銖は、宣祖17年(1584)に科挙のなかの「武科」という種類の試験に及第しました。そして、壬辰倭乱、文禄の役のときに倭軍を撃退し、その功績で宣武功臣になりました。権応銖将軍の肖像画は宣祖が授けたもので、宣武功臣になった際に描かれたものと推定されています。この肖像画は、17世紀の功臣の肖像画の形式で、胸に武官を象徴する虎の標章を付けた姿が描かれています。この標章は、朝鮮時代に王族や文武官が常服の胸と背の部分に付けて品階を表した標識です。品階によって、麒麟や白澤(はくたく)と呼ばれる神聖な動物、獬豸(かいち)、孔雀、鶴、虎と豹などを刺繍しました。武官の標章は、18世紀の英祖のときまでは1品と2品が虎と豹、3品が熊と羆でしたが、19世紀の高宗のときには堂上官が2頭の虎、堂下官が1頭の虎になりました。官服の標章に虎を刺繍したのは、虎の勇ましさに倣うという意味を込めようとしたからです。

花嫁の乗った輿の屋根を覆う婚礼用品です。婚礼を終え、初夜を過ごした後、婚家に向かうとき、花嫁は華やかに飾られた輿に乗りました。輿の周りには白い幕を張り巡らし、屋根には虎の皮をかけるのが習わしでした。それは、勇ましい虎が邪鬼から花嫁を守り、厄を払うと信じられていたためです。しかし、日本植民地時代にむやみな捕獲によって虎が姿を消し、皮を手に入れることが難しくなると、虎の模様の毛織物を使うようになりました。
この虎模様の輿カバーは、表側は平織りで、横糸には紅色の毛糸、縦糸には白い綿糸を使っています。そして裏側も平織りですが、横糸には黒に近い濃い栗色の毛糸、縦糸には赤褐色の綿糸を使い、全体を黒く縁取りしています。韓国では早くから、北方の遊牧民族との交流により毛織物の生産が発達し、朝鮮時代まで続きました。主に敷物が多く作られ、虎皮や紅色の厚手の敷物が通信使によって日本にも伝わりました。

民画の虎鵲図に見られる虎と鳥という伝統的なテーマを現代的に再現した朴生光(パク・セングァン)の『虎と牡丹』です。朴生光は1970年代末から、民画や仏画、巫俗画に登場する韓国固有の素材を、青、赤、黄色、白、黒を基本とした「丹青(タンチョン)」という伝統的な配色や、色とりどりの縞模様である「セクトン」、仏画の強烈な色彩で表現し、韓国の彩色画の現代化をリードした作家です。原色で表現された伝統絵画の吉祥の図が絵の中いっぱいに広がっています。

左には、虎が前足を揃えたまま2羽の鳥の方に頭を向けています。青色の牡丹と、虎の頭の上にいる赤色、青色、黄色に塗られた鵲は、伝統民画には見られない大胆な色彩の変化と言えるでしょう。

そして、右には、虎の親子が頭を突き合わせています。作品に登場する虎はいずれも民画の虎鵲図や乳虎図に登場する虎の典型的な姿勢で表現されています。絵の下側には装飾画のように単純に描かれた石があり、

雲に隠れた赤い太陽と、緑色の三日月が画面上部の左右に描かれています。太陽と月が同時に出ているのは、日と月と5つの峰を描いた「日月五峰図」でも見られますが、朴生光は、三日月を緑色にして宮中装飾画の伝統をアレンジしました。

様式化された原色の図が絵の全面に繰り返されますが、赤い輪郭線が形と色をはっきりと区画することで、ダイナミックな印象を与えています。全体に打たれた墨の点は、原色の対比の中で統一されたリズムを与えると同時に、虎の黒い縞模様が周辺に広がる効果をもたらし、巨大な虎の勢いが絵全体に伝わるような感覚を生み出しています。この絵は、伝統的な虎鵲図の素材を、民画、仏画、宮中装飾画の技法で描くことで、華やかな色彩をもつダイナミックな現代作品に生まれ変わった良い例といえます。

국립중앙박물관
提供: ストーリー

For virtual reality experience of the special exhibition "Tigers in East Asian Art" in the national museum of Korea, click here.

OLYMPIC WINTER GAMES PYEONGCHANG 2018 SPECIAL EXHIBITION

TIGERS IN EAST ASIAN ART
KOREA•JAPAN•CHINA

Jan. 26.FRI~Mar. 18.SUN, 2018
Special Exhibition Gallery, National Museum Of Korea

LENDERS TO THIS ONLINE EXHIBITION

Gyeongju National Museum
Jinju National Museum
Buyeo National Museum
Leeum, Samsung Museum of Art
Seoul Museum
Lee Hun

Co-organized by
Korea National Museum of Korea
Japan Tokyo National Museum
China National Museum of China

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
Google で翻訳
ホーム
トピック
現在地周辺
プロフィール