光を描く:現実を映し出すフェルメールのテクニック

Editorial Feature

作成: Google Arts & Culture

メラニー・ギフォード博士の言葉

Woman Holding a Balance(c. 1664) - 作者: Johannes VermeerNational Gallery of Art, Washington DC

メラニー・ギフォード博士が、フェルメールがいかにして光の効果を絵画に反映させたかを考察します。

ヨハネス・フェルメールの名画たちがもつ光の繊細な効果は、我々の視覚に訴えかけ、あたかもその場にいるかのような感覚を引き起こします。ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の絵画作品3点の専門的調査により、フェルメールの絵画技法が解き明かされ、その印象的な視覚効果を生み出した制作時の背景が明らかになりました。

フェルメールはしばしば絵画制作をモノクロペイントのスケッチから始めました。『天秤を持つ女』(図1) では、淡黄色のキャンバスの上に、茶色の油絵の具を用いて構図を練っていきました。フェルメールは構図を定める際に油絵の具で線を描きましたが、これは単なる輪郭を表す線ではありませんでした。フェルメールは構図を練る時点で、作品の中心的要素である光の明暗を明確にしながらスケッチを行いました。影となる広範囲の部分を茶色で塗り、また光が当たる部分を明るいキャンパスの地の色を残していくことで、明暗を表現していきました。ル・ナン兄弟 による未完の絵画には、そのような描画のスケッチが見られます。

(図1)ヨハネス・フェルメール作 『天秤を持つ女』(ワシントン・ナショナル・ギャラリーコレクションより)

フェルメールのスケッチ線は繊細なため、通常は完成された絵画の下に隠れています。フェルメールはたびたび、絵の具を混ぜることで物の境界線をあいまいに表現しましたが、時にはほとんど知覚することのできないような隙間を残しました。顕微鏡で見てみると、女性の手を描いた茶色のスケッチ線に重ならない、ぎりぎりの部分まで彩色を行っていることがわかります。

ここで生じた僅かな隙間と、そこから垣間見える茶色のスケッチ線が混ぜ合わさることで、輪郭が形成されています。

(図2)ヨハネス・フェルメール作 『天秤を持つ女』(メラニー・ギフォード博士の顕微鏡写真)

『赤い帽子の女』(図3)を作成する際、フェルメールは別の画家が残した未完成のモノクロスケッチの上に作画を行いました。元々描かれていた、つば広の帽子を被った男性の画像は、フォルスカラー赤外線写真ではっきりと見ることができます(図4)。作品の断面を見ても、モノクロスケッチと完成した作品の間に他の層が見当たらなかったため、フェルメールはこの画像を隠す必然性を感じていなかったことがわかります。彼は単にパネルの上下を反転し、未完成のスケッチの上に直接絵を描きました。元々描かれていたスケッチが(意識的に、あるいは無意識のうちに)フェルメールの劇的なデザインに貢献した可能性があるのではないかと考えると、大変興味深いことではないでしょうか。反転した赤外線画像から確認できる、女性のエキゾチックな赤い帽子を描いた筆致は、実際には下層のモノクロスケッチ画像のものであり、その大胆な筆致はもともと、男性の広い襟や肩にかけた外套を描いていました。

Girl with the Red Hat(c. 1666/1667) - 作者: Johannes VermeerNational Gallery of Art, Washington DC

(図3)ヨハネス・フェルメール作『赤い帽子の女』(ワシントン・ナショナル・ギャラリーコレクションより)

Woman in Red Hat false-color infrared reflectogram fig. 5(National Gallery of Art Washington)

(図4)ヨハネス・フェルメール作『赤い帽子の女』

下層の暗い描画層(スケッチを含む)は、フェルメールの明るい色彩の絵画において重要な役割を果たしました。彼は最後に塗る絵具の厚さを調整することにより、これらの下層を見えるようにしたのです。『天秤を持つ女』では、フェルメールは上着の青みがかった絵具を薄く影に溶け込ませ、茶色のスケッチが透けて見えるようにしました。この暖かい茶色の影と群青色に塗られた涼やかなトーンの上着とのコントラストは、フェルメールならではの色の調和の重要な部分です。フェルメールは同様の方法で、『赤い帽子の女』においても、女性の顎を枠取る白いスカーフの暗い下地を活用しました。スカーフを修正する際、部分的に暗いタペストリー状の背景に重ね塗りしたのです。彼は白絵具を筆で素早く払い、下層の暗い絵の具を露わにし、影を創作したのです(図5)。

Girl with the Red Hat(c. 1666/1667) - 作者: Johannes VermeerNational Gallery of Art, Washington DC

(図5)ヨハネス・フェルメール作『赤い帽子の女』白のスカーフの詳細。フェルメールは白色の下に暗い色を付け加えることによって影を産み出しました。

フェルメールの他の絵画では、モノクロ絵具のスケッチの跡は見当たりません。フェルメールはこれらの作品を『絵画芸術』(図6)中に描かれている制作中の作品と同様の手順で制作した可能性が高いと思われます。その手順では、基本的な構図の輪郭が白墨の線(この線描は専門的な画像化技術でも顕微鏡でも、絵具の上からは見えません)で示された後、完成画の色合いとなるように下塗りを行います。

絵画芸術(1666/1668) - 作者: ヤン フェルメールKunsthistorisches Museum Wien

ヨハネス・フェルメール作 (オーストリア・ウィーン美術史美術館のコレクションより)完成されていないイーゼルの作品と。

『手紙を書く女』(図7)では、フェルメールは粒状の顔料を使用し、更に故意に筆跡を残すことで、下塗りに質感を持たせました。粗めの質感を持たせた下塗りを繊細な技法で知られる画家が利用するとは、比較的驚きかもしれません。しかしフェルメールはこの技法を用いて、彼の特徴である際立った光の描写をさらに進化させたのです。ハイライトの部分においては、この下塗りの質感こそが絵を観る者の注意を惹くのです。

A Lady Writing(c. 1665) - 作者: Johannes VermeerNational Gallery of Art, Washington DC

(図7)ヨハネス・フェルメール作『手紙を書く女』(ワシントン・ナショナル・ギャラリーコレクションより)

もっとも明るい部分は、文字どおりこの作品の中で、実際に最も光が当たる部分です。 テーブルクロスでは、フェルメールは垂れた布地(図8)の上の光の陰陽を、薄暗い黄色の下塗りを施すことによって、生き生きと表現しました(図9の作品横断面参照)。また、フェルメールは素晴らしく洗練された完成図に、粗い下塗りの繊細な部分を僅かに残しています。顕微鏡で見ると、卓上の真珠の連なりの中に、粗い下塗りと、最後に上乗せされたサテンのように滑らかな表面とのコントラストが現れます(図10)。

A Lady Writing by Vermeer, detail of the tabletop (fig. 8)(E. Melanie Gifford、Johannes Vermeer)

図8 ヨハネス・フェルメール作『手紙を書く女』テーブル表面の詳細。

A Lady Writing by Vermeer, microscopic cross-section paint sample(E. Melanie Gifford)

図9 ヨハネス・フェルメール作『手紙を書く女』拡大図詳細。

A Lady Writing by Vermeer, detailed view of pearls on the tabletop (fig. 10)(Johannes Vermeer、E. Melanie Gifford)

図9 ヨハネス・フェルメール作『手紙を書く女』

また別の光の表現としては、『赤い帽子の女』のライオンの頭を象ったフィニアル(図11)の丸いハイライト部分にはは、フェルメールはまだ乾いていない中間色の上に、液状の白色の絵具を落としています。落とした滴は外側に広がり、うっすらと広がるおぼろげな光の効果を生みだしています。フェルメールがカメラ・オブスキュラ(17世紀に生まれた現代カメラの始祖)を使用した可能性については、激論が交わされてきました。彼の作品に見られる成熟した視覚効果、すなわち誇張された明暗のコントラスト、表面的な奥行き、そして初期のレンズに見られる「錯乱円」を思い起こさせる、これらのおぼろげなハイライトは、フェルメールがカメラ・オブスキュラを見ていたことを示唆しています。

Girl with the Red Hat by Vermeer, detail of the lion’s head finial (fig 11)(Johannes Vermeer、E. Melanie Gifford)

図11 ヨハネス・フェルメール作『赤い帽子の女』

しかし同時にフェルメールの作品は、彼の視覚的な表現技法が、カメラ・オブスキュラの視覚的特質から派生したものではなかったことを証明しています。つまり、フェルメールはすでに彼の表現技法を獲得しており、カメラ・オブスキュラの特徴が類似していたので惹かれたに過ぎないのです。滑らかな光沢面に現れるカメラ・オブスキュラの錯乱円と異なり、多くの場合、フェルメールのおぼろげなハイライトは布に見られます。このフェルメール独自の特徴は、彼の画家生活における全ての作品に一貫して見られます。初期の作品『ディアナとニンフたち』には、強いコントラストや表面的な奥行きのような錯覚技法を用いたの形跡はありませんが、フェルメールはすでに、丸みを帯びたベタ塗り手法でディアナの濃い黄色のガウンのひだを描いています(図12)。

ディアナとニンフたち ディアナとニンフたち(1653~1654 年頃) - 作者: Johanes VermeerMauritshuis

フェルメール作『ディアナとニンフたち』

中期に作られた『手紙を書く女』では、フェルメールは特徴的な丸いタッチで黄色い上着を描き、抽象的に光の明暗を示しました(図13)。晩年の『ヴァージナルの前に立つ女』では、音楽家の袖のレースを数多くの点の集まりでかすかに表現しています(図14)。

A Lady Writing(c. 1665) - 作者: Johannes VermeerNational Gallery of Art, Washington DC

(fig. 14) A Lady Writing by Vermeer, detail showing round highlights in the jacket

A Young Woman standing at a Virginal A Young Woman standing at a Virginal(about 1670-2) - 作者: Johannes VermeerThe National Gallery, London

図15ヨハネス・フェルメール作『ヴァージナルの前に立つ女』

フェルメールの描画手法は、彼が光の効果を絵の具で表現する際の意識が顕著に表れています。フェルメールの錯覚的効果は、ただ機械的に世界を写しとって表現した偶然の副産物ではありません。その技法は、フェルメールが現実を視覚的な世界に落とし込む際の基盤となるのです。
本稿は、E. Melanie Gifford著 『Painting Light: Recent Observations on Vermeer's Technique.』 (Studies in the History of Art 55 (1998): 184-99.) の抜粋です。

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