日本一食べられる柑橘「温州みかん」の秘密

日本人に最も馴染み深いフルーツのひとつ、みかんの歴史を紐解きます。

真穴みかん(2020-07)農林水産省

日本人にとって最も馴染み深いフルーツとは?
そう聞かれてみかんを思い浮かべる人は多いはず。こたつに入り、家族とテレビを観ながらみかんを食べる……古き良き日本の家族団欒の風景です。今回は、日本人に最も馴染み深いフルーツのひとつ、みかんの歴史を紐解きます。

真穴みかん(2020-07)農林水産省

みかんは庶民的な果物

愛媛県は、柑橘の日本国内シェア一位を誇る“柑橘王国”。この王国を代表するのが「温州みかん」。日本人が「みかん」と聞いてまず思い浮かべるのがこの柑橘です。

小ぶりなサイズで皮が簡単にむけて種も少なく食べやすい。そして比較的手頃に買える、庶民的な果物が温州みかんです。旬の時期が長いのも特徴で、出荷は秋の10月〜春先の3月頃まで。秋にはさっぱりした甘さの早生(わせ)みかんが出回り、シーズンを締めくくる冬にはコクのある甘味の晩生(おくて)みかんが店先に並びます。

みかんの花(2020-07)農林水産省

温州はどこ? みかんの起源の不思議

ところで、品種名にある「温州」とは、どこでしょうか? 実はこれ、中国の浙江省にある地名。柑橘の名産地である温州市にあやかって温州みかんと名付けられました。しかし実は温州みかんは中国原産ではなく、日本原産の独自品種。約1400年前に九州の薩摩(現在の鹿児島県)で偶然の変異により生まれたと言われています。英語圏でみかんのことを「Satsuma」と呼ぶのも、こうした経緯から。日本では中国の地名で呼ばれ、国外では原産地の日本の地名で呼ばれる。みかんの不思議な宿命です。

愛媛県で温州みかんの栽培が始まったのは、1789年。加賀山平次郎という男性が、土佐から1本の苗木を持ち帰り、庭に植えたのが始まりと言われます。当時みかんはまだ珍しく、フルーツの多くは高級な嗜好品。現在のように広く一般的に広まったのは、第二次世界大戦後の経済成長の時期だと言われています。

宇和島市吉田町(2020-07)農林水産省

愛媛県で柑橘の研究を行う、みかん研究所の所長を務める、二宮泰造さんは、「温州みかんのルーツが明らかになったのは、最近です」と語ります。

「温州みかんは歴史も長く、日本で最も親しまれている柑橘のひとつ。日本国内の柑橘の出荷量のうち約7割が温州みかんです。しかし、その両親が判明したのは意外に最近で、2016年のこと。DNA鑑定によって、『紀州みかん』とインドシナ原産と言われる『クネンボ』の交配によって生まれた品種だと、農研機構の調査によってわかりました。愛媛ではそうした調査を考慮しながら、掛け合わせの研究や突然変異種の発見を積み重ね、より美味しいみかんを生み出す努力を続けています」

真穴みかん(2020-07)農林水産省

とろける食感の「真穴みかん」

愛媛県の西側、宇和海を臨む真穴(まあな)地区を訪ねます。この地は古くから名高いみかんの名産地で、農林水産大臣から「日本農業遺産」に認定された南予地域にあります。約500世帯が暮らすこの真穴地区には、約170戸のみかん農家がいます。この地で作られる「真穴みかん」は、全国的に有名なブランド品種で、柑橘類ではじめて“天皇杯”を受賞したことでも知られています。

「断面を見てください。皮がとても薄いでしょう?」そう語るのは、真穴みかんの生産者で、JAにしうわ真穴副共選長を務める大下克夫さん。

「私は新潟の出身なのですが、真穴のみかんを初めて食べたときは驚きました。皮の薄さによる食感の良さが特徴で、じょうのう膜(果肉を包む皮)の存在をほとんど感じないんです。口の中でとろけるようでな食感の果肉はコクのある甘さといいますか、とても濃厚で。なんて美味しいんだと」

真穴みかんの収穫(2020-07)農林水産省

美味しさの秘密は3つの太陽

真穴地区でみかんの栽培が始まったのは1891年。それまでは、蝋燭の原料である「櫨(はぜ)」の栽培や、漁業で暮らしを立てる貧しい村だったと言います。雨が少なく水はけのいい土地は米作りに適さず、海に面した傾斜地で大規模な耕作も難しかったのです。ところが、その厳しい条件がみかん作りには最適でした。日照時間に恵まれた暖かい気候と、遮るもののない海に面した段々畑が、美味しい真穴のみかんを生み出しました。

「この地のみかんは3つの太陽で育ちます」と、生産者でありJAにしうわ真穴共選長を務める中井平昌さん。

「真穴のみかんは、海沿いの段々畑での露地栽培で育ちます。畑が西と南を向いていて、1日通して日光が当たるんですね。その太陽の光に、海からの照り返し、そして段々畑の石垣の反射光。この3つの光をたっぷりと浴びて、美味しいみかんが育つんです。海の塩分とミネラルを含む土壌も美味しさの理由ですね」

真穴みかん(2020-07)農林水産省

酒代をみかんで払う

同じく真穴でみかんを生産する松良公人さんは、「うちの父の世代の自慢話ですが」と、切り出します。

「親父がよく言っていたのですが、昔は飲み屋に行くと、飲み代と前回のツケ代を真穴のみかん1箱で支払ったと。2回分の飲み代を払うんですから相当ですよね。今じゃもうそんなことはできませんよ(笑)それだけ当時から真穴のみかんは評判で、貴重品だったということでしょう」

真穴みかんの収穫(2020-07)農林水産省

真穴の風物詩はハサミの音

11月になると真穴のいたるところで「パチパチ」と小気味いいリズムがこだまします。これはみかんをハサミで摘み取る音。枝を残して果実を切り取り、さらにもう一度枝の付け根ぎりぎりを切る。美しい果実を傷つけないために、手間のかかる二度摘みで収穫するのです。収穫時期は1年でも特に忙しく、みかんアルバイターと呼ばれる200人ほどが地域外から訪れます。

「この期間はね、家族が増えるんですよ」と大下さん。「収穫時期は手が足りませんから、臨時のスタッフを募集するんです。全国いろんなところから来てくれてね。人づての紹介だったり、インターネットでの募集を見たり。中には海外の方もいましたね。収穫の1〜2ヶ月、私たち生産者の家で暮らしてもらって、一緒に働くんです。同じ釜の飯を食べますから、家族のように仲良くなりますよ」

真穴みかんの収穫(2020-07)農林水産省

真穴みかんの伝統と変化

真穴では、新たな取り組みも。例えばみかんの果汁から皮や花までを使ったクラフトジン。収穫のハサミの音から「PACHIPACHI」と名付けられました。そして、缶詰や果肉入りのジュースと、さまざまな加工品も作られています。大下さんは「真穴のみかんを年間通して楽しんでいただきたいんです」と話します。

「真穴みかんを生産する環境は決して楽なものではありません。畑は急傾斜の段々畑で、機械による省力化が困難です。ほとんどの作業が人力によるものですが、それ故に先人たちの技が受け継がれ品質を維持しています。それと同時に、次の世代に美味しさを届けるため、新しい挑戦も必要です」

真穴みかん生産者(2020-07)農林水産省

23年前に真穴のみかん農家に嫁いだ飯田衣美さんは、この地の魅力を届けるために、SNSなどで真穴みかんの写真を発信しています。

「2011年の東日本大震災の復興支援に、被災された地域にみかんをお送りしたんです。とても喜んでいただいて、福島県の子どもたちから思いがけずお礼状をもらったり、いろいろな機会に全国の農家仲間交流も深まりました。その中で、もっと真穴のみかんや産地の魅力を広く伝えたいと、農作業の間に写真を撮りはじめたんです。眩しい太陽と海に恵まれた真穴の風景は本当に綺麗です。そして、何より真穴は人がいいんです。みかんを通して、この地の魅力を少しでも知ってもらえたら嬉しいですね」

伝統の方法を受け継ぎ、急傾斜の段々畑でみかんを作る真穴の人々。近代化が進む現在も、昔ながらの営みを伝えるこの地のみかんには、日本の原風景とも言える甘い思い出の味が詰まっているのかもしれません。

提供: ストーリー

協力:
JAにしうわ真穴共選

編集・執筆:山若 マサヤ
商品撮影:七咲友梨
制作:Skyrocket 株式会社

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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