江戸時代の医学

江戸時代の医学、それは伝統医学と西洋医学の巧みな融合。

江戸時代の医学国立科学博物館

江戸時代の医学

江戸時代中期以降、西洋の医学である蘭学が盛んになった。伝統的な漢方医たちの中にも、進んで蘭学者の協力を得て人体解剖を行うなど、実証的な西洋医学を取り入れようとするものが現れた。こうして、伝統医学と西洋医学とが巧みに融け合い日本独自の医学を作り上げた。

銅人国立科学博物館

中国伝来の医学

日本の医学は、隋・唐(6世紀末~7世紀末)から伝来した中国医学に始まった。その基本は「気」であり、身体の構造を「五臓六腑」と「経絡」で表し、その状態を「陰陽」「五行」「虚実」など古代中国の右中間で解釈する。蘭学の興隆まで、これが日本の中心的な医学思想となっていた。

鍼灸道具国立科学博物館

鍼灸道具

鍼、灸は古くに中国から伝わったもので、大宝律令(701年)にも制度として記されている。これらが、庶民にとっても身近な治療法になったのは、江戸時代であった。鍼は日本独自の打鍼や管鍼が考案されて盛んになり、幕府も検校という地衣を与えて保護した。灸は当初は鍼と対で用いられたものであったが、江戸時代には健康法として灸だけを背中や手足のツボにすえることも行われ、普及した。

銅人国立科学博物館

銅人

江戸時代中期に作られた鍼灸の学習のための経絡人形で、十四経絡とツボが記入されている。経絡人形は中国の銅人形を起源としている。銅人形には、経絡やツボが刻まれ、ツボに針が的中すると水銀が出る装置がつく。我が国へは村待ち時代に伝わった記録が残るが、江戸初期の鍼治療の普及に伴い、日本独自の経絡人形が作られ、一般の医家で広く用いられていた。

江戸時代の医学国立科学博物館

漢方医学

江戸初期には、本道と外科と鍼灸があった。本道は、中国の中世の金・元(13世紀末~14世紀後半)の医学に基づく。江戸中期になると、実証的な中国の古代医学にたちかえろうとする古方派が現れた。古方派や外科の人々は人体解剖や西洋医学書の翻訳を行い、江戸後期の蘭学興隆を導いた。一方、本道は漢方と呼ばれ、日本独自の医学として今日まで続いている。

薬箱国立科学博物館

薬箱

江戸時代の医師にとって、往診は通常行われる医療行為であった。薬は、医者が薬種商から生薬を買い、地震で調合した。そのため、たくさんの引き出しのついた百味箪笥に生薬を入れ、保管していた。往診には、この百味箪笥の生薬を紙袋などに小分けし、薬箱に入れて持ち運び、患者に合わせてその場で調合した。
蘭方では薬の調合に秤を用いたが、漢方ではさじ加減で調合した。これは、漢方が経験的知見から滋養強壮のための薬が多かったためで、蘭方薬のように即効性のある劇的な効き目はなかった分、長期的には効き目が期待できた。

鍼灸道具国立科学博物館

木骨国立科学博物館

木骨

木骨は、整骨医が勉学のために工人に命じて人骨を忠実に模して作らせあものである。江戸時代に9体作った記録があるが、現存するものは4体。木骨には整骨医星野良悦と同じく各務文献の2系統が存在するが、奥田木骨は各務文献の弟子奥田万里が、1819(文政2)年に大坂の工人池内某に作らせたもので、これを作るのに20ヶ月あまりを要した。奥田木骨は1822(文政5)年に名古屋医学館に寄贈され、薬品会に出展された時の絵が『尾張名所図会』に載る。

手首から先

足首から先

解体新書国立科学博物館

蘭学の興隆

江戸中期には、西洋の解剖書や外科書が人々の目に触れるようになり、西洋と東洋の医学の違いが明らかになった。人体解剖が始まり、前野良沢や杉田玄白らがオランダ語の解剖書を訳し、『解体新書』を出版した。これを機に蘭学が始まり、各地で医学、天文学、兵学などのオランダ語の書籍が訳された。長崎郊外に「鳴滝塾」も開かれた。

ターヘルアナトミア国立科学博物館

ターヘルアナトミア

『解体新書』の原本は、ドイツ人Adam Kulmus著の解剖書をオランダ語訳『ターヘル・アナトミア(正式名は "Ontleedkundige Tafelen")』である。本書は、解剖学の初等書で人体の解剖図に解説を付したものである。前野良沢は、長崎でオランダ語を学んだ通じの吉雄耕牛から本書を入手していた。蘭方医術を学んでいた小浜藩の杉田玄白が、江戸での腑分け見学に前野良沢を誘った際に、本書と突きあわせ、その正確さに驚き、翻訳を決意したという。

解体新書国立科学博物館

解体新書

腑分け(刑死人の解剖)に立ちあった杉田玄白、前野良沢らが、解剖した臓器と蘭暑中の図を比べ、その正確さに驚き翻訳を決意し、1774(安永3)年に出版した西洋解剖書の翻訳書。『解体新書』は我が国最初の本格的な蘭書翻訳書であり、この出版を契機に蘭学が興るなど、医学だけでなく、日本の近代文明の西洋化に多大な影響を与えた本である。初版は序図1巻本文4巻の5冊からなる。指図を描いた小田野直武は、平賀源内の弟子で秋田蘭画の第一人者であった。ちなみに、前野良沢は本書に名前がないが、当時はまだ禁教の影響があり、出版に際しては予告書を出すなど苦労もあった。

種痘用具国立科学博物館

種痘道具

種痘の施術は、ガラスなどの容器に牛痘苗を入れて保管、持ち運び、種痘時にはガラス板の上にその牛痘苗を出し、種痘メスで患者の腕などを切り、牛痘苗を植え付ける。幕末に、西洋から伝わった種痘が国内に広まったことで、蘭学は一躍、漢方に代わって我が国の医学の主流となり、その後の明治へと続いていくことになる。

提供: ストーリー

地球館2階:科学と技術の歩み-私たちは考え、手を使い、創ってきた-
より作成

写真:中島佑輔

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
もっと見る
ホーム
発見
プレイ
現在地周辺
お気に入り