天文と測量
測量とは、天を測り地を量ることを意味する中国の「測天量地」に由来する。江戸時代になると、測量技術は従来のものに西洋から伝えられた暦学や測量の知識に加えて実用の技術として発達した。江戸時代に盛んに行われた土木治水や鉱山開発は、広く普及した測量技術があってこそ可能だったのである。
大和七曜暦
日本に中国の天文、暦学が伝えられた頃、日常に使用される暦の他に、日々の太陽、つき、五星の宿度などを記述した一種の天文暦として作られ、室町時代には途絶えた暦であった。江戸時代に、渋川春海が行った貞享改暦で再度作られるようになり、本資料はその始めの頃に計算された1683(天和3)年の七曜暦である。版本としては1685(貞享5)年から出版され、江戸時代末まで製作された。
地球儀
西洋では、地球儀と天球儀が対で利用され、日本はこれらに中国伝来の渾天儀が加わって、天文暦学関係者や蘭癖大名らの所持品となっていた。 西洋から伝えられた地球儀や天球儀は、和製としては、幕府天文方の渋川春海が1695(元禄8)年に作ったものが最初とされ、国立科学博物館にはその実物(重要文化財)が所蔵されている。 本地球儀は、渋川春海作のものと同様に、マテオ・リッチ系の地図を描いたものである。
量地図説国立科学博物館
量地図説
和算の関流長谷川門下である常陸笠間藩士甲斐駒蔵広永が著した測量術書である。
本書が出版された当時は、ペリー来航直前で、既に多くの西洋測量器具が輸入されていた。これらの西洋測量器具は、工作も精密で数学的な理論も伴って作られていたため、和算家がその原理や使用方法を研究するようになり、本書のような測量術書が多く出版された。
本書は、従来の木製測量器具を使用した基本的な町見術を詳細に説明し、高度な西洋測量器具である八分儀(オクタント)などは、基本を学んだのちに使うように、その販売店の広告などを巻末に掲げている。
アリダード(alidade)を用いた測量
量地図説国立科学博物館
見盤
見盤は、江戸時代最も一般的な測量道具である。見盤上に目標物との相似三角形を作れるものである。この見盤は、木製で誰にでも作ることができ、横に使えば木の高さや山の高さを図ることもでき、また相似による計算も比較的簡単であることから、明治の初期まで測量に用いられた。江戸時代には、この方法で富士山の高さを図ったという記録もある。
中型象限儀
伊能忠敬の全国測量は緯度一度の距離測定が目的で、そのためには日本各地の正確な天体観測が必要であった。象限儀はそのための観測器具の一つで、師である間重富が「霊台儀象志(南懐仁ら撰、1674)」などを参考に工夫して作らせた天体の角度測定器である。象限儀には1/4円形状の半径六尺の大型象限儀と半径三.八尺の中型象限儀があり、全国測量には中型が用いられた。
量程車
量程車は、動輪と連動する歯車機構を使って、動輪円周の長さと歯車回転数から距離表示するもので、測量点間の距離を測定する道具である。伊能忠敬の時代には、いくつかのタイプの量程車(量程器)が作られており、距離を測定する道具として、わりあい利用されたもののようである。しかし、当時の道の状況や動輪の小ささを見れば、とても正確に距離が測れるようには考えられず、おそらくは測量を行なう状況を、周囲に認めさせるような効果を狙ったものであろう。
量程車国立科学博物館
内部の様子
蓋の小窓から測った距離を見ることができる
左から
一間 → 十間 → 百間 → 千間 → 万間 を表す
1間=約1.82m
量程車国立科学博物館
製図道具一式
江戸時代の測量に使用する製図道具は、流派や時代によって多少の変化があるが、基本的には現地で記録する方位と距離を縮図にするすための道具が用いられている。方位は、「分度矩(鎌形の分度器と定規の組み合わせたもの)」や「全円儀」「半円儀」「4分円儀」のような、角度を刻んだもの、縮図は、「コンパス」や「定規」で行った。 点線を引くための「星引」や「図引」のように、西洋的なペンタイプの筆記用具も、江戸時代既に使われていた。
地球館2階:科学と技術の歩み-私たちは考え、手を使い、創ってきた-
より作成
写真:中島佑輔