「建築家は社会に目を向け、積極的に関わっていくべきだと思います。……それが新しい建築の世界を切り拓くきっかけにつながるのではないか」(安藤忠雄)
世界的な建築家であると同時に積極的に社会へとコミットし、災害によって困難な状況にある子どもたちを支援する震災遺児育英基金の設立や、子ども図書館の建設など、未来に向けた活動を続けてきた安藤。
なかでも植樹をとおした環境づくりはライフワークと呼べるほど長年にわたって各地で進められてきた。「建築も森づくりも、同じく環境に働きかけ、新しい価値を場所にもたらす」ものだと安藤は言う。
ゴミの島を蘇らせる:瀬戸内オリーブ基金
瀬戸内オリーブ基金(2000) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
美しい海と島々が人々を魅了してきた瀬戸内海。しかし美しい自然は戦後の経済成長の犠牲となり、島々の山は削られ、大量のゴミが持ち込まれ、ゴミの島と化した。
特に被害が大きかったのが、産業廃棄物の不法投棄によって28万5千m2もの島の緑が破壊された豊島だ。
この破壊された自然を回復しようと、安藤とその仲間は市民からの募金によって荒廃した島の大地に木を植える活動を立ち上げる。
瀬戸内オリーブ基金(2000) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
その想いに多くの人が賛同し、現在までに20万人以上から寄付がよせられ、島の自然は徐々に回復に向かいつつある。人々の想いが瀬戸内の風景を紡ぐ。
憩いの場を都市につくる:桜の会・平成の通り抜け
桜の会・平成の通り抜け(2004) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
大阪の中心を流れる大川は、全国的に知られる「造幣局の桜の通り抜け」をはじめ、河川敷に植えられた約4800本の桜が人々を魅了する名所として古くから人々に親しまれ、春になると多くの人々でにぎわいを見せていた。
安藤は植樹活動によってこのさくら並木を拡張し既存の魅力を活かして世界一の名所をつくる「平成の通り抜け」プロジェクトを始動させる。
2004年から始まった活動には、多くの企業や市民が賛同し、最終的に3,000本もの桜の木を新たに植樹し、春だけでなく一年を通じた人々の憩いの場を都市に創り出した。
桜の会・平成の通り抜け(2004) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
こうした環境整備活動は単に緑を増やすだけでなく、一人ひとりの自発的な参加を前提とし、人々の環境に対する意識や公的精神を高めていくことを目指している。
都市を魅力的にしていくのは、豊かな建築空間とともに、こうした公的精神をもつ成熟した市民の存在なのだと安藤は語る。
さくら広場(2006) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
この活動をきっかけに、企業の遊休地を活用し、市民の憩いの場として構想された「さくら広場」が全国に4ヶ所つくられた。
次世代に向けた森づくり:海の森プロジェクト
海の森(2007) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
2016年の東京オリンピック招致に向け、東京のグランドデザインづくりに関わることになった安藤。自然環境に配慮した次世代の都市づくりに向け新たなプロジェクトを立ち上げた。
東京湾に浮かぶ約88haのゴミの埋立地。都市活動の結果生み出されたゴミの山が30mの高さに積み上げられたこの場所を、市民の手で森に変えるという壮大な計画だ。
海の森(2007) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
それは単にオリンピック招致のためだけではない。50年後を生きる次世代のための森づくりであり、東京を人間のための都市へとつくり変える、その出発点として位置付けられた。
一口1,000円ずつの寄付に50万人もの市民が参加し、結果24万本もの木々が植樹された。剥き出しだった島の地表はさまざまな植物に覆われ、小さな苗木も大きな木々へと成長を続けている。
海の森(2007) - 作者: 安藤 忠雄出典: Tadao Ando Architect & Associates
これ以外にも安藤は、「大阪府立近つ飛鳥博物館」や「大阪府立狭山池博物館」はじめ、自身が設計に携わった施設周辺の植樹活動を続けている。これら数々の環境を創造す取り組みは、「自然とともに生きる」ことの大切さを示す未来に向けたメッセージだ。
執筆:川勝真一
編集:和田隆介
ディレクション:neucitora
監修:安藤忠雄建築研究所