江戸時代の鉱業
マルコ・ポーロが「黄金の国(ジパング)」と呼んだ日本は、金銀などの鉱物資源や燃料となる森林資源に恵まれ、江戸時代以前から世界有数の鉱業国だった。江戸時代に入ると、幕府は積極的に鉱業を振興し、日本各地で鉱山開発を行った。銅の生産量は世界最大となり、これらの生産物は長崎を通じて世界に流通した。
佐州金銀採製全図
本鉱山図巻は、鉱山の入口である鋪口から始まり、採鉱や試掘測量、水揚げなどの坑内の様子を描写する。続いて選鉱や荷分け、運搬、そして奉行社内における精錬、小判に仕立て上げるまでの過程が、場面ごとに詳細に描かれる。このような図巻きは他鉱山にもあるが、佐渡鉱山のものは他を圧倒するほど多い。それは佐渡金山が、本格的に採鉱の始まる江戸時代から近年まで世界有数の金銀山として稼働してきた証である。
佐州金銀採製全図国立科学博物館
佐州金銀採製全図国立科学博物館
佐州金銀採製全図国立科学博物館
佐州金銀採製全図国立科学博物館
新山見立秘伝書国立科学博物館
新山見立秘伝書
山師(鉱山技術者)にとって、最も重要な仕事が、鉱山の調査、発見である。山師は、関所などに関係なく、全国どこでも出入り自由の身分とされ、江戸時代には、多くの山師集団が幕府や藩の命令により日本各地の鉱山を探索し、採鉱を行った。本書は、当時の鉱山探索の知識や技術をまとめたもので、金山や銀山、銅山の山肌の色の違いや、山相(山の様子、風景)、鉱物・鉱石の種類と見分け方等が記述されている。
金銀銅鉛検査秘伝書
採鉱された鉱石に、有用な金属である金や銀、銅が含まれているか、また採算に合うものかどうか等を調べることも、山師(鉱山技術者)の必須の知識、技術であった。また鉛は、江戸時代の金や銀、銅を鉱石から精錬する「灰吹き法(鉛アマルガム法)」などに欠かせない金属であった。鉛は、日本では比較的多く産出する金属であったため、同時期の西欧や南米の金銀銅山で行われた水銀使用による水銀アマルガム法はほとんど行われなかった。本書には、灰吹き炉やその他の炉の作り方などが解説されており、当時の精錬技術の概要が記されている。
小判 色揚技法
金銀合金の表層に金色を引き出す発色技法で、鍍金と比べて耐久性にすぐれる。江戸時代には、小判の金銀の比率が時代によって異なり、そのままでは銀色が強くでる大判や小判があり、その金色を出すために施された。すでに古代インカの工芸品にこの技法を確認できるというが、日本では金工後藤四郎兵衛家の秘法と伝承され、大判座・金座で活用された。文献には「色付」、のちに「色揚」の称も見える。素の小判に色付け薬を塗布して加熱し、金銀の表層から銀分のみを除去し、残った金文を再結晶させて金リッチ層を作る技法。
地球館2階:科学と技術の歩み-私たちは考え、手を使い、創ってきた-
より作成
写真:中島佑輔