来歴に関する研究とは、現在の場所に作品が置かれる以前の所在情報を調査するものです。このオンライン展示では、ヤン フェルメールの『真珠の首飾りの女』が絵画館のコレクションに加わる前の遍歴について見ていきます。また、第二次世界大戦中および大戦後の運命や、その影響についてもご説明します。

真珠の首飾りの女(around 1662) - 作者: Jan Vermeer van DelftGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

ヤン フェルメール『真珠の首飾りの女』

デルフトで暮らし、制作していたフェルメールは、1662 年から 1665 年の間に『真珠の首飾りの女』を描いたと考えられています。この絵の最初の所有者は、地元の美術家ピーテル クラースゾーン ファン ライフェンであったと推定されます。その後はおそらくその家族に受け継がれ、17 世紀末にはファン ライフェンの娘婿である地元デルフトのヤコブ アブラハム ディシウスの所有物となりました。彼が所有していたフェルメール作品は、21 点以上にのぼります。

Gerard Hout: Catalogus of naamlyst van schilderyen […], Band I, 1752.(2018) - 作者: Gerard HoutGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

ディシウスのコレクションは 1696 年 5 月に開かれた競売で売却されました。オークション カタログが文書として残っている、この絵に関する最初の記録ですが、購入者については不明です。また、18 世紀中の所在は判明していません。

The Painting‘s Provenance and Fate - Part 1Gemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

Girl with a Pearl Necklace (Backside)(2017) - 作者: Jan Vermeer van DelftGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

上部中央のラベルには、「Momper. Rentoileur des Musées Impériaux」とフランス語で記されています。モンペールは、パリでキャンバスの増強作業を専門としていた人物です。つまり『真珠の首飾りの女』の背面には、壊れやすい作品を補強するために別のキャンバスが貼り付けられていることがわかります。モンペールのラベルは、この絵とメフレのつながりを裏付けるものです。モンペールとメフレは、ある美術収集家のために行った共同作業を通じて顔見知りになりましたが、その後、メフレがモンペールに自分が所有する絵画の増強を依頼したのでしょう。

Girl with a Pearl Necklace (Montage of Frontside & Backside)(2017) - 作者: Jan Vermeer van DelftGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

その後の数年間この作品はパリにありましたが、所有者は何度か変わっています。
1864 年頃、美術愛好家トレ ビュルガーが『真珠の首飾りの女』のスケッチを残しています。ビュルガーはスケッチの下に、この絵が「アンリ グレーヴドン(101 r. サン ラザール)」の所有物であったことを書き留めています。グレーヴドンが 1,500 フランでこの絵を購入したとする情報もあります。

Girl with a Pearl Necklace (Backside)(2017) - 作者: Jan Vermeer van DelftGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

2 年後の 1866 年、トレ ビュルガーは 4,000 フランで『真珠の首飾りの女』を買い取りました。19 世紀のフェルメール作品の再評価において重要な役割を果たしたビュルガーは、自身が鑑定したすべてのフェルメール作品をまとめたカタログを出版しています。『真珠の首飾りの女』の背面にビュルガーが貼り付けたラベルには、絵のタイトルと画家名に加え、このカタログに関する情報が記載されています。

The Painting‘s Provenance and Fate - Part 2Gemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

Jan Vermeer’s Young Woman with a Pearl Necklace on display at the Kaiser-Friedrich-Museum in 1917.(1917) - 作者: Jan Vermeer van DelftGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

1873 年、バルトルト ズエルモントの事業は深刻な財政危機に直面しました。1874 年、現金が必要となったズエルモントは、自身が所有する著名な美術品の売却を余儀なくされました。『真珠の首飾りの女』を含むズエルモントのコレクションの大半は、今日の絵画館の前身であるベルリン王立美術館に絵画コレクションとして買収されました。そして『真珠の首飾りの女』は、現在はボーデ博物館の建物となっているカイザー フリードリヒ博物館に展示されました。

真珠の首飾りの女(around 1662) - 作者: Jan Vermeer van DelftGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

その後の数十年はそこに落ち着いていましたが、第二次世界大戦とその影響によって『真珠の首飾りの女』は再び流浪の日々を送ることになります。
1945 年の春、第二次世界大戦の最後の数日間に『真珠の首飾りの女』は国立博物館の他の絵画とともに、爆撃を逃れるため、ベルリンから岩塩坑に退避させられました。これらの貴重な作品群はこの場所で米軍兵によって発見され、ヴィースバーデン美術館に持ち込まれました。

Inventory Card for Jan Vermeer’s Young Woman with a Pearl Necklace.(2018) - 作者: Staatliche Museen zu BerlinGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

ヴィースバーデン美術館は、大戦の過程で各地に分散していた芸術作品の収集所となりました。この大規模な美術品の物流の責任者を務めたのは、ウォルター I. ファーマーという人物です。
1945 年の秋、米国当局は、ヴィースバーデンの作品の中から『真珠の首飾りの女』を含む 202 点を「保管」という名目でワシントンに輸送する決定をします。ファーマーをはじめその他の軍将校は抗議しましたが、輸送作業は 11 月に開始されました。

Exhibition Catalogue “Masterpieces from the Berlin Museums”, 1948(2018) - 作者: Staatliche Museen zu BerlinGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

ベルリン美術館のコレクションから持ち込まれた 202 点の絵画は、ナショナル ギャラリーの倉庫に 3 年間保管されていましたが、1948 年にはついにナショナル ギャラリーで展示されることになりました。

Visitors at the National Gallery Washington, 1948.(1948) - 作者: UnknownGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

わずか 4 週間で約 100 万人の訪問者を集めたこの展覧会は、大成功のうちに幕を閉じました。

Brigadier General Kenneth Buchanan and Lieutenant General Walton H. Walker hand over Young Woman with a Pearl Necklace to Chauncey McCormick, President of The Art Institute of Chicago, 1948.(1948) - 作者: UnknownGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

その後、国民の関心の高さを受けて、米国全土で展覧会を開催することが決定しました。
次の動画から分かるように、他の絵画とともに『真珠の首飾りの女』は、 1 年間のうちに米国全土の 14 都市で巡回展示されました。

The Painting‘s Provenance and Fate - USAGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

真珠の首飾りの女(around 1662) - 作者: Jan Vermeer van DelftGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

1949 年 4 月、『真珠の首飾りの女』は、大西洋を渡ってヴィースバーデンに返却されました。その後、かつてベルリン美術館に所蔵されていた作品は、収集所であったヴィースバーデンを離れ、最終的にベルリンに戻ってきました。しかし、当時のベルリンでは都市も美術館もすでに東西に分断されており、『真珠の首飾りの女』やヴィースバーデンから戻された他の絵画は、西ベルリンの絵画コレクションに加えられたのです。

Packing of paintings in Berlin Dahlem for the move to the Kulturforum in 1998.(1998) - 作者: Staatliche Museen zu BerlinGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

この絵画の最後の移動は 1998 年です。ベルリンの壁が崩壊してから約 10 年後、東ベルリンと西ベルリンの美術コレクションが、現在のポツダム広場からほど近い絵画館の現在の建物に集められました。

Visitors queuing outside the Museo Fondazione Roma in Rome, 2008.(2008) - 作者: Staatliche Museen zu BerlinGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

現在、『真珠の首飾りの女』の展示場所はベルリンの絵画館に落ち着いています。まれに絵画館を離れることもありますが、幸いなことに戦争や危険を回避するためではありません。極めて特別な場合のみ、他の博物館に貸し出されることがあるのです。ベルリンを留守にしている間、この絵は、世界中の展覧会で人々を魅了し続けています。

提供: ストーリー

This exhibition is part of the Google Vermeer Project.

Concept / Text: Staatliche Museen zu Berlin - Stiftung Preußischer Kulturbesitz / Dr. Katja Kleinert & Svea Janzen

Editing / Realisation: Malith C. Krishnaratne

© Staatliche Museen zu Berlin – Stiftung Preußischer Kulturbesitz

www.smb.museum
Gemäldegalerie

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