手塚治虫はもう古い。そんな声を吹き飛ばしたブラック・ジャックの大ヒット。生涯第一線であり続けた巨匠のラスト・メッセージ
"ようこそ。
このコーナーではデビュー以来、大人の読者をもターゲットとした劇画ブームの中で、「もはや時代遅れ」と言われた手塚治虫が、「ブラック・ジャック」という起死回生のホームランをかっ飛ばし、再び漫画、劇画の第一線に返り咲いた日々をご紹介します。"
手塚治虫のことば
「ぼくは何度も何度も臆面もなく転向した。
割り切る前のぼくときたら、ノイローゼの塊のようなものだ。ひどいコンプレックスにおちいり、まわりの人々に八つ当たりし、ジレンマの極みに達して、ついに大勢に迎合してしまう」
手塚治虫のことば
「当然、従来のぼくのファン達はそんなぼくを罵倒し、読者を裏切ったと言って去っていく」
【1973】
虫プロ商事、虫プロダクション、倒産。
手塚治虫のことば
「マンネリだ、マンネリだと読者の手紙が殺到し、なにを描いても評判が悪く、しかも助手は劇画に熱中する。もう世の中はお終いと思って、千葉医大の精神病院に精神鑑定をしてもらいに出かけた」
手塚治虫はこの頃のことを自ら《冬の時代》と称し、世間的にも「手塚治虫の時代は終わった」と思われていた。
そんな「手塚マンガの最後を看取ってやろう」という漫画雑誌編集長の思いからスタートした一本の漫画が流れを変えた。終わりを迎えたのは手塚マンガではなく、その《冬の時代》のほうだったのである。
ブラック・ジャック(1973年〜1983年)
『ブラック・ジャック』は人気がなければいつでも打ち切れる。そういう思惑から毎回読み切り形式が採用された。
しかし蓋を開けてみると、連載マンガが主流だったこの時代にそれはとても新鮮なものとして読者に迎えられた。
マンガを読む、ということが日常の中で定着した、ということは日常の中で続きを気にすることなくその場で読み終えられる連作短編が歓迎された、ということでもあった。
手塚治虫のことば
「ブラック・ジャックは私のわずかな知識、いまから40年前の学生時代に得たアナクロな知識をもとに描いたものです。
いまの医学生たちに真剣に読まれたりするのは大変困るのですが、読まれているんですね。
何故読まれているのか考えると、作品のテーマに人間の生き甲斐を重視していることがあるのでは。
つまり生と死の問題ですね。
それが今の若い人達に刺激になっているのではないでしょうか」
【1974年】
生と死をみつめる謎の天才外科医ブラック・ジャックは『ジャングル大帝』でデビューした当時からの手塚マンガの基本テーマの集大成とも言えた。
そしてもうひとつ、手塚マンガの大きなテーマである《SFと伝奇ミステリー》の集大成ともいうべきマンガがこの年に連載開始となった。
三つ目がとおる(1974年〜1978年)
SF文学の古典『失われた世界』の著者、コナン・ドイルを意識したかのように彼の代表的なキャラクター、シャーロック・ホームズと助手のワトソンをもじった名前を持つ主人公、写楽保介と和登さんが超能力や超古代文明の謎に挑んでいくこの作品に寄って、手塚治虫は再び少年漫画の世界に「未知なるものへの好奇心」を刺激する手塚マンガの伝統を復活させることに成功した。
手塚治虫のことば
「時代は変わっても、子どもたちの本質というものは変わらない」
「好奇心というのは道草でもあるわけです。確かに時間の無駄ですが、必ず自分の糧になる」
【1977年】
人気が復活すると同時に手塚治虫のクリエイティビティも再びかつての輝きを取り戻し、長く中断されていたライフワーク『火の鳥』の連載も再開された。
1977年、手塚治虫は『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』『火の鳥』『ユニコ』『MW』と6つの連載を並行執筆した。
手塚マンガ、第二の黄金時代の到来であった。
手塚治虫のことば
「ぼくは児童文学者や父兄の前で『マンガもいずれマンガ家の向上によって文学に比較できる作品がきっと描けるだろう』と発言して総スカンを食ったことがある。
『マンガが文学の代用になってたまるものか』と、ある児童文学者は怒ったものだ」
手塚治虫のことば
「マンガの洗礼を受けて育った世代が、子どものころに熱中し、深い印象を植えつけられたマンガは、すくなくとも何パーセントかは、ひとりひとりの人生観の中に無意識におさめられ、咀嚼されたはずである。
それは決して暗澹たるものであってはならない。
希望や明るさにみちた、前進的な要素であってほしい」
「きりひと讃歌」
「アドルフに告ぐ」
「奇子」
「MW(ムウ)」
「陽だまりの樹」
【1989年】
体調を崩しつつも旺盛な創作意欲が衰えることなく、「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」「ネオ・ファウスト」などの連載を続けていた手塚治虫は、2月9日、入院先の病院で息を引き取った。
周囲は手塚に胃癌であることを伝えず、手塚自身、自分が末期がんなのかと周囲に問うことはなかった。
しかし病院のベッドの上で描き続けていた『ネオ・ファウスト』の中に登場キャラクターが周囲に教えられることなく、自分自身で末期がんであることを悟っている、という場面が描かれている。
「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」「ネオ・ファウスト」の表紙と連載最後のコマ
手塚治虫のことば
「マンガの主人公の実在を信じる風潮は、かなり昔からある。
ぼくの描いている漫画で、ブラック・ジャックという医者の主人公がいるのだが、『どうか、ブラック・ジャック先生に、来て欲しいのです。あの先生ならきっとぼくの病気を、なおしてもらえると思います』という切実な手紙をたびたびもらうのである」
制作—手塚プロダクション