美女の集う宴会~食でひもとく浮世絵の楽しみ~

慶長8年(1603)徳川家康によって江戸幕府が開かれます。それから260余年、戦乱のない世の中で人々は新たな暮らしを築き、それまでにない文化を育みました。 生活が安定し、心にゆとりを持てるようなった庶民たちは娯楽を求めるようになります。そんな中で浮世絵も生まれました。

「十二月之内 水無月 土用干」(1854) - 作者: 歌川豊国(三世)公益財団法人 味の素食の文化センター

役者や美人、諸国の風景や人々の暮らしの様子など、江戸を彩るあらゆるものが浮世絵のテーマとなりました。 そして決して数は多くありませんが「 食のシーン 」もそこに見つけることができます。

東都名所四季之内 両国夜陰光景(1853) - 作者: 歌川豊国(三世)公益財団法人 味の素食の文化センター

江戸時代、醤油や味醂、酢など の調味料の普及や生産性の向上、流通の発展に伴い、食文化も目覚ましい発展を遂げました。そんな江戸の食模様を手がかりに浮世絵を見つめてみたいと思います。

「江戸大かばやき」(1804/1810) - 作者: 勝川春亭公益財団法人 味の素食の文化センター

江戸前といえば鰻のこと
三枚続きの大判錦絵に描かれているのは勝川春亭による鰻屋の厨房の様子です。武者絵を多く残した春亭は、動き豊かな描写を得意としました。ここでも、鰻屋で働く人々をいきいきと描き出しています。

右端に並ぶ桶に「大和田」と店の屋号が記され、桶のすぐ横には鰻を裂く男性。

画面の中央には江戸前・大蒲焼の看板

左端には串に刺した鰻を焼く女性の姿があります。彼女の着物はだいぶはだけていますが、赤く燃える炭を前にしているのと夏の暑さもあってのことでしょう。

鰻は奈良時代、万葉集に「夏痩せによし」とうたわれ、その頃から食されてきました。江戸時代、醤油や味甜などの調味料が身近になり、今に繋がる甘辛い蒲焼きの味わいが生まれ人気を博します。この絵が描かれた頃、江戸ではすでに「土用の丑」といって夏に好んで鰻を食べていました。奥の座敷では、男性たちが寛いだ様子で蒲焼きを肴にお酒を飲んでいます。

当時の方言集『 物類呼称 』(1775)によれば、「江戸前」とは江戸で捕れる鰻のことをさします。暑い夏、江戸前の鰻をこのようにいただくのは、江戸っ子にとって格別なる喜びでした。夏の暑さと、そこにただよう鰻の香りを思い浮かべてみます。お客たちの賑わいや、忙しく行き来する店の人たちのざわめきが聞こえてくる気がしませんか。

「十二月之内 水無月 土用干」(1854) - 作者: 歌川豊国(三世)公益財団法人 味の素食の文化センター

水菓子でひと休み
美人3人が並ぶ色鮮やかな画面はなんとも華やか。こちらは夏の風物詩を表した歌川豊国による浮世絵です。 人物表現を得意とした豊国は、目や眉、口元のわずかな動きによって女性たちそれぞれに表情を持たせています。

画題にあります「士用干」は、湿気を払うために、着物や書物に風を通す習慣で、立秋の十八日前、今の六月中旬前くらいに行いました。

背後には、清楚な美しさを象徴する撫子の花の姿があります。撫子は秋の七草の―つですが、夏から花を咲かせますので、右に見えます朝顔と共に描かれたのでしょう。

庭に植えられた朝顔は、赤、青 紫色の大きな花が見事です。この花が咲いているということは、時刻はお昼前、午前中ということになります。

朝から土用干しで忙しくしていた女性たちは、ひと休みするところです。中央の女性は着物をしどけなく着崩し、 団扇で涼をとっています。口元にお歯黒をのぞかせていますので、この中では年長者のようです。

彼女の前には、 染め付けの大皿に四角くカットされた西瓜が盛られ、 楊枝が刺さっています。江戸時代、西瓜などの果物は「水ぐわし」と呼ばれ親しまれました。特に西瓜や真桑瓜は夏の水分補給にも一役買ったそうです。

当時の食材について記した『本朝食鑑』(1697)によれば、 西瓜は今のように甘くなかったので、 砂糖と一緒に食べることもあったようです。

干した着物がはらりと風にゆらめくさまは涼しげです。寛ぐ美人とみずみずしい果物。夏も悪くない、江戸の人たちの粋な心意気をどこか感じさせます。

東都名所四季之内 両国夜陰光景(1853) - 作者: 歌川豊国(三世)公益財団法人 味の素食の文化センター

女子たちが集う夏の宴席
こちらも豊国による美人画です。当時、大川と呼ばれた隅田川。その川縁の料亭に集う六人の女性たち。遠景には両国橋が掛かり、川には幾艘も夕涼みの船が浮びます。

女性たちの前にはお酒やお茶と共に夏らしいお菓子が並び賑やかです。

中央手前の深めの大皿には水が張ってあり、中には黄色や簿桃色の賽の目状のものが描かれています。これは「冷し物」、「水の物」と呼ばれたもので果物を小さく切って冷水に浮かべるいわば和風フルーッポンチのようなお菓子です。

その左には果物をたっぷりと盛りつけたお皿があります。四角く切った西瓜、六角形状のものは真桑瓜、手前の丸い果実は葉っぱの形から見て枇杷と思われます。

横の女性は手を伸ばし、楊枝を掴んで西瓜を食べようというところでしょうか。

この絵にはもうひとつ夏の典型的なお菓子が描かれています。左端の女性が運んでいる白玉です。当時の白玉はこんな風にしばしば赤い斑点で彩られていまし た。大皿の横に薄茶色のものが入った器がありますが、これは白玉にかける砂糖だと思われます。

江戸時代、砂糖は高価でしたので、こんな風にいただくのはなんとも贅沢です。 夜風が気持ち良い大川の河畔で元気いっぱいな女性たちが集まり甘く美味しい夏のお菓子を囲む。ここに描き出されているのは、暑い夏のさなか、江戸の人たちが夢見た理想のシーンなのかもしれません。

「花見の提重詰(さげじゅうづめ)」『料理早指南(りょうりはやしなん)』(1801/1804) - 作者: 醍醐山人公益財団法人 味の素食の文化センター

江戸の料理書を紐解く
江戸時代にはたくさんの料理書が出版されました。 寛永20年(1643)に刊行された『料理物語』にはじまり、 実用性の高さからロングセラーとなった『料理伊呂波庖丁』(1773)や、人気シリーズとなる「百珍物」の先駆けとなった『豆腐百珍』(1782)など、個性豊かな料理書が数多く残っています。

料理早指南(醍醐山人)公益財団法人 味の素食の文化センター

そんな江戸の料理書の中に、鰻に関するレシピを探してみました。今と同じく家で調理するということはあまりなかったようで、鯖や鰯など他の魚介類と比べると記述は多くありません。最も多く紹介されているのは「鰻豆腐」の作り方です。いわゆる精進料理で、鰻のように豆腐を調理するレシピで、鰻は登場しません。『 料理珍味集(』一七六四 )にはお味噌汁にネギと鰻を入れる鰻汁、『万宝料理秘密箱』(1785)には鰻の焼き方と蒲焼きの作り方が記されています。

文化元年(1804)に出された『料理早指南』には「うなぎ蒲焼茶碗蒸し」なるものが紹介されていました。「玉子くずしかけ茶碗にて蒸す也とり合生姜 」とのみ綴られています。非常にシンプルですが、鰻と玉子という江戸で重宝された食材を組み合わせる野心的なレシピ です。 食べ残した鰻に玉子をときかけ、しばし待てば、温められて再び香りがふっと立った蒲焼きに濃厚な玉子が絡む茶碗蒸しのできあがりです。出汁も加えず玉子をそのまま加えるというのはなんとも潔く、食事の最後の「締め」にも丁度良さそうです。
今に繋がる蒲焼きの味。浮世絵や料理書は、江戸の人たちがいかにその味わいを愛し心震わせたかを、時を超えてもなおありありと伝えてくれます。

提供: ストーリー

林綾野(はやしあやの)
キュレーター、アートライター。美術館での展示会企画、美術書の企画、執筆を手がける。新しい美術作品との出会いを提案するために画家の芸術性と合わせてその人柄や生活環境、食への趣向などを研究。著作『画家の食卓』(講談社)、『浮世絵に見る江戸の食卓』(美術出版社)など。

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