上野の杜にある近現代建築を訪ねて No.3:東京藝術大学 赤レンガ1号館

東京藝術大学構内に明治期のレンガ建築がある。由来が忘れられ解体の危機に瀕したが、調査が行われて一転、往時の姿を取り戻した劇的な歴史を秘めている。近代建築黎明期に産声を上げたその歴史を紐解く。

作成: 上野文化の杜

撮影:白井亮

東京芸術大学正門上野文化の杜

東京藝大にひっそりとある、都内最古のレンガ造りの建築

東京藝術大学の正門はその歴史を物語るようなレンガ造りとなっているが、それよりも古い時代に建てられたレンガ造りの歴史的建築物が、今も現役で使われている。正門を入って左手にある、2棟の赤レンガ造りの建物がそれだ。手前が赤レンガ1号館、奥が赤レンガ2号館。中でも赤レンガ1号館は明治時代前期に建てられ、都内でもっとも古いレンガ造の建物となっている。

撮影/白井亮

東京芸術大学赤レンガ1号館上野文化の杜

撮影/白井亮

「東京芸術大学百年史」から上野文化の杜

旧教育博物館書籍閲覧所として1880年に竣工

明治時代、最新の建築技術として次々に建てられたレンガ造の建築。近代化の一環で誕生した博物館の一つ、旧教育博物館(現・国立科学博物館)の書籍閲覧所の書庫として建てられたのがこの建物だ。設計は、近代建築に名を遺す工部省技官の林忠恕(はやしただひろ)。1880年の竣工当時は、2階建ての建物中央にシンメトリーの階段があったほかは、開放された造りだったと伝わる。その後、1886年に隣接して赤レンガ2号館が建てられ、渡り廊下でつながっていた。
写真:東京美術学校の絵葉書。一番右奥に写っているのが赤レンガ1号館(1910年頃または1908〜1923年の間)。「東京芸術大学百年史」より。写真提供/東京藝術大学

「東京芸術大学百年史」から上野文化の杜

関東大震災で被災し、モルタルに覆われる

1887年、同じ敷地内に東京美術学校(現・東京藝術大学)が創設されてからは、同校の所属となり、当初は書庫や倉庫、1960年代には電話交換所などにも使われてきた。その間に起きた大きな変化が、関東大震災による被災だ。壁の上部が大きく崩れ、屋根瓦が崩落するなど、多大な被害を受けた。そのため、崩れた壁にレンガを積み戻し、全体がモルタルで覆われた。それにより、美しいレンガ造りの外観はすべて隠された。

写真:外壁がモルタルで塗られていた、電話交換所だった当時の様子(1970年頃または1965〜1978年の間)。「東京芸術大学百年史」より。写真提供/東京藝術大学

「東京芸術大学百年史」から上野文化の杜

後から取り付けられた1階鉄扉雨戸。この当時はまだしっかりしていた(1965年頃)。写真提供/前野まさる

東京芸術大学赤レンガ1号館調査の様子上野文化の杜

解体計画が一転、調査により保存へ

小さな改修を加えながら利用されてきた赤レンガ1号館だったが、1978年、新設される建物の“障害物”として解体計画が持ち上がる。それに対して、教師や学生らによる保存運動が繰り広げられ、調査を開始。外壁のモルタルの一部を剥がした結果、内側から赤レンガが現れた。それにより、美しくも稀少な明治期のレンガ造建築であることがわかり、大学全体で「美しいのものは残そう」との機運が高まり、モルタルを剥がした本来の姿での保存が決まった。
写真:解体の危機を逃れ、外壁のモルタルを剥がす作業を行った(1978年頃)。写真提供/前野まさる

東京芸術大学赤レンガ1号館正面上野文化の杜

今も現役。東京藝大を象徴する建物の一つに

2005年、今後末永く同学の象徴として在り続けられるようにと、美術学部と音楽学部の両同窓会の寄付により耐震改修工事が実現した。現在は、同窓会事務室や研究室などに使われており、現役の建物として活躍している。2階には談話室が設けられ、大学関係者の紹介により外来のゲストも使用が可能となっている。


撮影/白井亮

東京芸術大学赤レンガ1号館モルタル上野文化の杜

その歴史を物語る、雄弁なレンガ積み

建物を一周すると、積まれたレンガが場所によって表情が異なることがわかる。平面(ひらめん)(入口側と反対側)は関東大震災でも崩れることなく、本来の姿をとどめている。2階の妻面(つまめん=左右の面)は震災で崩壊して積み戻したため、レンガ本体の造りも違い、積み方もやや雑然としている。本来あった窓部分を潰し、レンガで埋めた痕跡も見てとれる。レンガ面には、はぎ残したモルタルがところどころに残るほか、モルタルが接着しやすいように傷を付けた跡も残っている。


撮影/白井亮

東京芸術大学赤レンガ1号館レンガ上野文化の杜

撮影/白井亮

東京芸術大学赤レンガ1号館2F上野文化の杜

撮影/白井亮

東京芸術大学赤レンガ1号館レンガ上野文化の杜

撮影/白井亮

東京芸術大学赤レンガ1号館鉄扉上野文化の杜

オリジナルと修復が入り混じるディテール

明治期の竣工当時にはなかったと推測される鉄扉。いつの時代からか取り付けられたその扉も、今ではこの建物に欠かせないアクセントとなっている。当初の扉に上下の閂をともに操作できる握り玉が加えられ、補修された閂は上下を別々に操作する造りになっている。当初の面影は2階の窓に色濃く残されている。レンガ積みや鉄扉などの外観は、建物のすぐ横を通る公道からも生垣越しに鑑賞できるのが嬉しい。


撮影/白井亮

東京芸術大学赤レンガ1号屋根裏上野文化の杜

天井板の奥から現れた木組みの屋根裏

外壁は1978年の調査により本来の姿を取り戻していたが、内装の多くはそのまま使われていた。内装材で覆われていた壁や天井について、2005年の工事の際に調査。天井板で覆われていた2階の屋根裏を調べたところ、立派な木組みの存在を確認し、天井板を取り払ったオリジナルの姿に生まれかわった。吹き抜けの気持ち良い空間となったこの談話室は、学校関係者だけでなく、ゲストも利用できる場所となっている。

撮影/白井亮

東京芸術大学赤レンガ1号館窓ガラス上野文化の杜

スムーズな上げ下げ窓。“昔ガラス”が趣を添える

赤レンガ1号館の最大の魅力は、アーチ型の窓だろう。レンガの壁にはめ込まれた木枠の窓は、ほぼ建設当時のまま残されている稀少なもの。木枠部分に滑車とロープ、錘(おもり)が仕込まれており、上下2枚の窓を開けた際に任意の位置で止めることができる精巧な造りとなっている。はめ込まれた窓は昔の製法で作られた吹きガラスも多く残され、その歪みや気泡が何よりの味わいとなっている。

撮影/白井亮

提供: ストーリー

提供/上野文化の杜新構想実行委員会 
 
協力/東京藝術大学
 
取材・文/鈴木糸子
 
撮影/白井亮

提供: 全展示アイテム
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