Gustav Klimt(1917) - 作者: Moriz NährAustrian National Library
クリムトは、1905 年頃にはすでに肖像画家としてきわめて高い評価を得ていました。たとえば、当時描いた肖像画のモデルには、裕福な実業家でパトロンでもあったカール ヴィトゲンシュタインの娘、マルガレーテ ストーンボロー=ヴィトゲンシュタインや、アデーレ ブロッホ=バウアーなどが名を連ねています。
ベルリン=シャルロッテンブルクにある工科大学で教鞭をとっていたグラーツ出身のアロイス リードラー教授もまた、クリムトに肖像画制作を依頼した人物の一人です。46 歳の妻フリッツアを描いてほしいという依頼をクリムトが受けたのは、1906 年またはそれより少し前のことでした。フリッツア(本名フリーデリケ ランガー)は、1860 年にベルリンで生まれ、1927 年にウィーンで亡くなっています。
Fritza Riedler(1906) - 作者: Gustav KlimtBelvedere
フリッツアの生涯についてわかっていることはほとんどなく、その姿を写した写真も 1 枚もありません。フリッツアはベルリンとウィーンの間を頻繁に往復していたようです。クリムトが彼女の肖像画を描いたのは、街の中心部に近いヨーゼフシュタット通りにあった当時のアトリエでした。
クリムトはいつも、肖像画を完成させるまでに非常に長い時間をかけています。彼は、理想の追求と調和とを感じさせる完璧な構図を組み立てることに重きを置いていました。クリムトの絵のレイアウトが、他に並ぶものがないほど技術的に完成されているのは、こうしたこだわりがあったからなのです。
フリッツア リードラーの肖像画で特に印象的なのは、ドレスの布地、そしてモデルの顔と手が、巧みな筆使いで実に精緻に描かれている点です。
この細かく写実的な描写とはまったく対照的に、ソファと背景は、抽象性の高い幾何学模様で装飾されています。
こうしたコントラストの効果が特に目立つのが、フリッツア リードラーの頭部です。彼女の頭の真後ろにはモザイク模様の半円形の装飾が描かれています。当時の人々はおそらくこの絵を見て、ベラスケスが描いた幼い王女の肖像画を連想したことでしょう(王女の絵はその頃特に人気があったのです)。
緻密な写実性と装飾的抽象性という相反する表現は、クリムトの作品によく見られるものであり、クリムトが生み出したきわめて独創的な表現方法の一つとなっています。この技法によって、新しい視覚表現の可能性が広がったとともに、クリムトの芸術が典型的なアールヌーボー様式と一線を画す存在に進化したと言えるでしょう。
Text: Österreichische Galerie Belvedere / Franz Smola
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