作品の裏側 - 『真珠の首飾りの女』

Girl with a Pearl Necklace (Backside)(2017) - 作者: Jan Vermeer van DelftGemäldegalerie, Staatliche Museen zu Berlin

有名な絵画の裏面は、どのようになっているのでしょうか。ここでは、ヤン フェルメール(1632~1675 年)の『真珠の首飾りの女』(1663、1664 年頃)の「裏側」について解説します。絵画の裏面には、その興味深い歴史を示す古いラベルやシールが添付されています。

キャンバスの裏にある最も古いラベルは 19 世紀半ばのもので、「Momper. Rentoileur des Musées Impériaux」(モンペール。帝国博物館の賃貸人)とフランス語で記されています。M. モンペールは、パリでキャンバスの増強作業を専門としていた人物です。つまり『真珠の首飾りの女』の背面には、壊れやすい作品を補強するために別のキャンバスが貼り付けられていることがわかります。モンペールのラベルは、この絵をかつてジャック マリー メフレが所有していたという来歴を裏付けるものです。モンペールとメフレは、ある美術収集家のために行った共同作業を通じて顔見知りになりましたが、その後、メフレがモンペールに自分が所有する絵画の増強を依頼したのでしょう。

1866 年、19 世紀のフェルメール作品の再評価において重要な役割を果たしたテオフィル トレ ビュルガーは、『真珠の首飾りの女』を購入しました。同年、自身が鑑定したすべてのフェルメール作品をまとめたカタログを出版しています。『真珠の首飾りの女』の背面にビュルガーが貼り付けたラベルには、絵のタイトルと画家名に加え、このカタログに関する情報が記載されています。鑑定を保証するかのように、トレ ビュルガーはラベルに別名で「W. ビュルガー」と署名を残しています。トレ ビュルガーのコレクションとなった他のフェルメールの絵画にも、同様のラベルが貼られています。

「アーヘン」 - このラベルは、アーヘンの裕福な実業家で美術収集家のバルトルト ズエルモント(1868~1874 年)が『真珠の首飾りの女』を所有していた頃に貼られたものです。1867 年、トレ ビュルガーはこの絵をレオン ゴーシェに売却しました。ズエルモントはゴーシェから絵を購入しようとしましたがかなわず、代わりにチャールズ セデルマイヤーが入手しました。しかしわずか 1 年後、ズエルモントはセデルマイヤーから『真珠の首飾りの女』を購入したのです。絵画の所有者がこのように頻繁に移り変わったという事実に、1866 年のトレ ビュルガーのカタログによって高まったフェルメール作品の人気が表れています。

1874 年にバルトルト ズエルモントの会社が倒産の危機に瀕すると、ズエルモントは自身の美術コレクションの大半について売却を余儀なくされました。ベルリン王立博物館に売却した 218 点もの絵画の中には、『真珠の首飾りの女』も含まれていました。赤い封蝋は王立博物館によって追加されたもので、プロイセン王国の国章である鷲が描かれています。下に書かれた黒い数字は、ロイヤル コレクションに加えられた際に与えられた古い目録番号です。

こうした目録ラベルは、1918 年から 1945 年までの間に使用されていたものです。目録ラベルは、ドイツにおいて君主制の末期に「王立博物館」が「国立博物館」となった際に導入されました。ラベルには、現在も有効なこの絵の新たなカタログ番号(Cat.No. 912B)も記載されています。

このラベルは 1945 年から 1949 年の間のもので、この絵画の歴史の中でも最も劇的だった時代の様子を物語っています。1945 年の春、第二次世界大戦最後の日に、『真珠の首飾りの女』と国立博物館の他の絵画がベルリンから岩塩坑に退避させられました。これらの貴重な作品群はこの場所で米軍兵によって発見され、ヴィースバーデン美術館に持ち込まれました。1945 年の秋、米国当局は、こうした作品の中から 202 点を「保管」という名目でワシントンに輸送する決定をします。これらの絵画がヴィースバーデンに戻ったのは、1949 年になってからのことでした。したがって、「Zollamtlich abgefertigt - Zollamt Wiesbaden」(税関通関手続 - ヴィースバーデン関税局)とドイツ語で書かれた緑色のラベルは、1945 年または 1949 年のいずれかに貼り付けられたものということになります。

1945 年にベルリン美術館のコレクションからワシントンに持ち込まれた 202 点の絵画は、ナショナル ギャラリーの倉庫に 3 年間保管されていましたが、1948 年にはついにナショナル ギャラリーで展示されることになりました。わずか 4 週間で約 100 万人の訪問者を集めたこの展示会は大成功のうちに幕を閉じ、国民の関心の高さを受けて米国全土で展覧会を開催することが決定しました。ワシントンの次にまず展示されたのはニューヨークのメトロポリタン美術館だったため、そのことを示すラベルがおそらく絵の背面に貼り付けられたのでしょう。この展覧会は、米国の 14 もの都市で開催されました。

1949 年、米国に持ち込まれた 202 点の絵画のうち最後の作品がヴィースバーデンに返還された際、ヨーロッパ各国での展覧会が企画されました。そして 1951 年、アムステルダムとブリュッセルでの展示を終えた後に、『真珠の首飾りの女』を含むベルリン博物館の名作がパリの「プティ パレ」で展示されました。このラベルは、おそらくドイツへの返送するために絵画を梱包したフランスの「梱包業者」、モーリス ロビノが貼り付けたものだと考えられます。

『真珠の首飾りの女』が 1950 年代初頭にベルリンに戻された頃には、都市も博物館もすでに東西に分断されていました。ヴィースバーデンから運ばれてきた絵画、『真珠の首飾りの女』はこうして西ベルリンのコレクションに加えられたのです。第二次世界大戦後にコレクションが分散し、それから 50 年以上を経たベルリンの壁崩壊後、東ベルリンと西ベルリンの絵画は今日のドイツにあるベルリン絵画館で一堂に会しました。1998 年のことです。複雑な経緯を辿った絵画のすべてに、1990 年代の日付が書かれたこのラベルのような、新たな目録ラベルを添付する必要がありました。

作品の「裏側」 - 『真珠の首飾りの女』

提供: ストーリー

Concept / Text: Staatliche Museen zu Berlin - Stiftung Preußischer Kulturbesitz / Dr. Katja Kleinert & Svea Janzen

Editing / Realisation: Malith C. Krishnaratne

© Staatliche Museen zu Berlin – Stiftung Preußischer Kulturbesitz

www.smb.museum
Gemäldegalerie

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