造船の街が育む鉄板焼き文化 イカ天と砂肝を使った尾道のお好み焼き

25年前から尾道商店街の一角で営業を続ける『村上 お好み焼き』。70代の姉妹が目の前で焼いてくれる尾道スタイルのお好み焼きと、ふたりの暖かい人柄を求めて、地元の人からツーリストまで広く愛される人気店です。尾道のお好み焼きといえば、鉄板で炒めた鶏の砂肝を入れた「尾道焼」が有名。そして、この「村上」は、そんな「尾道焼」を最初にはじめた店でもあります。

お好み焼き 村上:外観(2019)農林水産省

お好み焼き 村上:シマショクのイカ天を入れる(2019)農林水産省

70代の姉妹が営む、「尾道焼」発祥の店

「うちは私らが中学生の頃から両親がお好み焼き屋をやってましたんで、昔からお好み焼きはよく食べましたね。両親の店はこことは別の場所で50年やってました。当時から尾道ではお好み焼きは一般的で、学生たちも給食のない土曜日の昼ごはんは、たいていお好み焼き。お好み焼きを新聞紙に包んでもらっておやつがわりにすることもありました」。そう語るのは、主にお店を切り盛りするお姉さん(写真左)。

お好み焼き 村上:村上紀美子さん(左)、津紀美さん(2019)農林水産省

現在でも尾道市街には数え切れないほどのお好み焼き屋が軒を連ねています。尾道でお好み焼きが一般的になったのは、理由があります。古くから尾道は北前船の寄港地として海運業の要所。さらに波が少なくおだやかな瀬戸内海に面し、造船業に適した土地でした。造船では大量の鉄を使うため、鉄加工が一般的に。そのために大きな鉄板も手に入りやすく、鉄板焼きの文化が育まれていったといいます。

お好み焼き 村上:具材には麺とシマショクのイカ天を、砂肝などを入れる(2019)農林水産省

「お好み焼きっていうのは、やっぱり鉄板焼きの文化だったんじゃないかなと思いますね。当時は、卵や好きな食材を持ってきて鉄板で焼いてくれっていうお客さんも多かったですよ。ホルモンを焼いてもらってビールのつまみにしたりね。うちはあるときから、砂肝を焼いてお好み焼きに入れるようにしたんですよ。それを『尾道焼』ゆうてね。それが尾道で一般的に広まっていったんじゃないかと思います」

お好み焼き 村上:姉妹で営まれている有名店(2019)農林水産省

「尾道焼」は砂肝とイカ天が決め手

お好み焼きは、小麦粉ベースの生地と、キャベツなどの野菜、肉、魚介などの具材を鉄板で焼く料理。ソースやマヨネーズなどをかけていただくのが一般的です。とはいえ、そのレシピには地域ごとに特徴があります。例えば大阪では生地と具材を先に混ぜてから焼くことが多く、対して尾道のある広島では薄く焼いた生地の上に野菜や肉、魚介、中華麺などの具材をレイヤー状に重ねて焼き上げます。

お好み焼き 村上:尾道ならではの具材、砂肝(2019)農林水産省

「美味しく焼くコツは、生地の水分を多めにすること。なるべく薄くなるように、つなぎ程度。温めた鉄板に生地を薄く伸ばしたら、カツオの粉をたっぷりと。花かつおじゃダメなんですよ、魚粉にすると出汁が出るの。野菜はもやしとキャベツ。炒めた中華麺と砂肝、そしてイカ天をちぎって上に並べます」

島谷食品のイカ天(2019)農林水産省

砂肝に加えて、尾道のお好み焼きの特徴と言える食材が、この「イカ天」(写真)だといいます。イカ天とは、薄く伸ばしたスルメイカを油で揚げた加工食品。スーパーマーケットなどでおやつや酒のおつまみとして手頃に売っていますが、尾道のお好み焼きには欠かせない食材です。「うちが使うのは、尾道の島谷食品のイカ天。シマ食って言って、美味しいんですよ」とお姉さん。

お好み焼き 村上:お好み焼きを切る(2019)農林水産省

具材に火が通ったらひっくり返して、ソースとたっぷりの青ネギをかければ完成。お好み焼きを焼く“ヘラ”を巧みにさばいて、一口大に切り分けてくれます。板で焦がされた香ばしいソースの香り、コリコリした砂肝の食感。そして、イカ天のジューシーな旨味がやみつきになる美味しさです。「私ら尾道の人は、皿も箸も使いません。ヘラで鉄板から直接食べるんです」とお姉さん。

お好み焼き 村上:外観(2019)農林水産省

島谷食品:(右から)代表 島谷茂登さん、専務 島谷洋村さん(2019)農林水産省

尾道焼を支える「イカ天」のストーリー

「私も昔はよくお好み焼き屋に、ご飯を持って行っては焼き飯作ってもらいましたよ。鉄板で餅を焼いてもらったりね。私らにとってお好み焼きというのは、鉄板焼の文化です」と懐かしそうに語るのは、尾道でイカ天を製造する老舗メーカー・島谷食品の代表の島谷茂登さん(写真右)。専務の島谷洋村さん(写真左)とともに、尾道のイカ天の歴史を語ってくれます。

島谷食品:イカ天(2019)農林水産省

「尾道でイカ天が生まれたのは、60年くらい前だと思いますね。尾道は北前船の寄港地で、日本全国からいい食材が集まってきました。そうした背景もあって、加工業が盛んだったんです。特に多かったのが、昆布や醤油を使った佃煮屋。私が子供の頃には、大きな佃煮屋がたくさんありました。当時の尾道は県庁所在地になる話があったほど、栄えていましたから。商人や銀行が力を持っていましたし、荷物も尾道から丘を越えて広島に行きよったんです。まさに商業の中心地でした」

島谷食品:イカ天の材料となるイカの干物(2019)農林水産省

北前船によって商業地として栄えた尾道には、財力のある豪商たちが力を持ち、彼らはこぞってお寺に寄進するようになりました。それが、尾道が日本有数のお寺の密集度を持つ街になった理由だといいます。また、海沿いの下町には商店が軒を連ね、山手には大きな屋敷が作られました。かつては茶室と庭園で文人墨客をもてなした「茶園文化」が山手に形成され、斜面に家々や寺が並ぶ現在の尾道の景観のルーツとなりました。

尾道の街の風景(2019)農林水産省

「そうした中で、乾燥させたスルメイカが北海道から尾道に入ってきたわけです。そして、それらの海産物を焼いたり揚げたりして売る商店ができました。スルメを焼いて1枚5円で売っていたり、昆布のフライを売ったりね。そのうち、スルメをローラーで薄く伸ばす技術が生まれて、それをフライにするというのが始まった。それがイカ天の始まりでしょうね。昭和32年頃でしょうか。当時はフライ屋が30軒ほど、また、イカ天の店もあったと記憶しています」

島谷食品:イカ天(2019)農林水産省

そうしてうまれたイカ天は、おつまみやおやつだけでなく、お好み焼きの具材として使われるようになりました。「電気がない時代は冷蔵庫もないですから、肉の保存が効かないでしょう。それで肉のかわりに、日持ちのするイカ天を使うようになったと聞いています」

お好み焼き 村上:「尾道焼き」の完成(2019)農林水産省

造船業による鉄板の普及で生まれた、鉄板焼きの食文化。北前船に乗って訪れたスルメイカから生まれたイカ天。港町ならではのふたつの食文化に、「冷蔵庫がなく肉の保存ができない」というビハインドが出会い、尾道のお好み焼きが生まれたのです。港町の歴史と人々の営みから生まれたソウルフードを味わいに、尾道に訪れてみませんか? できれば地元の人たちにならって、箸は使わず、熱々の鉄板からヘラで直接どうぞ。

提供: ストーリー

協力:
お好み焼き 村上
株式会社 島谷食品
尾道市役所
SAVOR JAPAN

写真:阿部 裕介(YARD)
執筆:山若 マサヤ
編集:林田 沙織
制作:Skyrocket 株式会社

提供: 全展示アイテム
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