神の果実・柿を巡る、古都の冒険

柿の起源に深く関わる日本の古都・奈良を訪れて

大きな柿の木(2020)農林水産省

柿――学名「Diospyros kaki」、すなわち“神の果実”。けれど、日本の一般的な柿のイメージからするとこの学名は意外です。なぜなら、柿は古くから気軽に家の庭先に植えられている最も庶民的な果物だから。そんな身近で不思議な果物・柿の持つストーリーを紐解きながら、柿の起源に深く関わる日本の古都・奈良を旅します。

子規の庭(2020)農林水産省

庭園で明治の柿に思いを馳せる

柿くへば
鐘が鳴るなり
法隆寺

数ある柿を詠んだ俳句の中で、最も有名なのがこの一句でしょう。作者は明治に俳句・短歌の革新運動を行った正岡子規。この句が生まれた場所が、かつて奈良を代表する旅館として栄えた「對山樓・角定(たいざんろう・かどさだ)」です。對山樓は江戸末期から昭和38年の廃業まで、岡倉天心、伊藤博文ら各界の著名人に愛された名旅館。正岡子規もそのひとりで、34歳でこの世を去った子規は生涯最後の旅でこの宿に滞在しました。

子規の庭(2020)農林水産省

子規の随筆集「くだもの」には、對山樓で食べた柿の思い出が記されています。夕食をすませ、美しい女中がむいてくれた柿を食べていると、ボーンと釣り鐘の音が聞こえた……。この経験をもとに詠まれたのが「柿くへば……」の句だと言われています。

對山樓・角定(2020)農林水産省

「そのとき子規も眺めたであろう柿の古木が、今もあるんです」と語るのは對山樓の跡地に立つ日本料理店「天平倶楽部」の女将、中塚隆子さん。店の敷地内にある「子規の庭」は、樹齢150年を超える柿の古木を中心に、子規が好んだ草花を植えて設えられた庭園です。

天平倶楽部の「大和茶膳」(2020)農林水産省

「子規もこの木を眺め、柿を食べたのではないでしょうか。今でも実をつけますから、この木の柿をお料理に使うこともあるんです。秋には柿を取り入れた懐石料理をお出ししています。近頃若い方はあまり柿を食べなくなっていると聞きますが、私は果物の中で柿が一番好きです。昔は各家庭の庭に必ずといっていいほど柿の木があって、軒先に干し柿が吊るされる風景が見られました」

柿博物館(2020)農林水産省

柿のルーツを知る、柿博士を訪ねる

明治時代には一般的な果実となっていた柿。今度はさらに時代を遡って、柿の起源を紐解きましょう。 “柿博士”なる人物がいると聞いて訪れたのは、通称柿ドームと呼ばれる「柿博物館」。

「子規が食べたと言われるのは奈良原産の甘柿『御所柿』ですね。柿には渋柿と甘柿があるのはご存知ですか?」そう語る濵崎貞弘さんは、柿博物館を運営する奈良県農業研究開発センターに勤める研究者。“柿博士”としてテレビなどメディアにも登場することも。

濵崎貞弘さん(2020)農林水産省

「日本には1000種類以上もの多様な柿があると言われます。そしてそのうち約6割が渋柿。渋柿とは実が熟しても渋みが残るもので、干したりアルコールを使うなどして“渋抜き”をして食べます。対して樹上で渋みが抜け甘くなるものが甘柿です」

濵崎さん曰く、柿の祖先が生まれたのは数千万年前の東南アジア。その後中国で進化した柿は今から1400年ほど前には日本に到来していたと考えられていて、弥生時代の遺跡などでは柿が発掘された例もあります。しかし、柿が一般的に食べられるようになるのは奈良時代以降。

柿の実(2020)農林水産省

「柿が生まれて数千年の間、この世に存在する柿はすべて渋柿でした。そして鎌倉時代の日本で、樹上で甘く熟す世界初の甘柿『禅寺丸』が発見されます。室町時代以降、甘柿が日本各地へと一般的に広まっていったと考えられ、『さるかに合戦』など私たちがよく知る柿にまつわる昔話が生まれたのもこの頃です」

江戸時代にはスウェーデンの植物学者・ツンベルクにより学名「Diospyros kaki」が名づけられました。「神の果実」という意味のこの名は、寺や神社などに柿の木が多く見られたことから。そして1800年代以降、日本の柿は日本語と同じ「Kaki」の発音で、ヨーロッパや南米へも伝わります。

利根早生(2020)農林水産省

幻の革命的品種「御所柿」

世界初の甘柿「禅寺丸」は種子ができると渋みが抜ける「不完全甘柿」という種類。そして、種子に関係なく樹上で甘く育つ「完全甘柿」として発見されたのが「御所」です。現在主流の甘柿である「富有」「次郎」などのルーツといえる品種で、日本の甘柿の原種とされています。

御所柿の系譜(2020)農林水産省

「子規も食べた御所柿は室町〜江戸にかけて奈良県の御所市(ごせし)で生まれ、代々の将軍にも献上されました。その食感は絹のようで、甘みは和三盆糖、果肉は極上の羊羹にたとえられます。俳人の松尾芭蕉も“松茸・御所柿は心のまゝに喰ひちらし”と、その美味しさを記していますね」

御所柿(2020)農林水産省

「しかし、」と濵崎さんは続けます。「とても美味しい柿なのですが、栽培が難しいんです。収穫量が少なく実も落ちやすい。そのため、時代とともに「富有」などの新品種に淘汰されていったのです」

幻となった御所柿ですが、近年、御所市の農家や高校生たちによって復活の取り組みが始まっています。再び生産され始めた御所柿ですがそれでも生産量は限られ、奈良県外に出ることの少ない希少品種。この地を訪れたなら、歴史に思いを馳せ味わってみたいものです。

柿の葉寿司(2020)農林水産省

柿の葉寿司を求め山深き聖地へ

奈良の柿文化は果実だけではありません。室町時代には赤い柿の葉に恋の歌を詠んで川に流す習慣がありました。そして奈良でぜひ食べたいのが、郷土料理「柿の葉寿司」。柿の葉で魚を包んだ押し寿司で、世界遺産にも認定された修験道の聖地・吉野山の名物です。

吉野山(2020)農林水産省

しかし、どうして海のない奈良の名物が寿司なのでしょう? その理由を柿の葉寿司の名店「やっこ」の4代目の当主龍見直人さんに聞きます。

「海から遠い吉野山では当然魚が獲れません。そのため昔は熊野灘のサバを塩漬けにして吉野まで運んでいたんです。さらに殺菌効果のある柿の葉で包めば日持ちがすると。吉野は柿の産地ですから、新鮮な柿の葉は手近にありますから」

柿の葉寿司(2020)農林水産省

熊野灘で水揚げされたサバは道中で傷まないようきつく塩漬けされ、“サバ街道”とも呼ばれる東熊野街道を通って吉野まで運ばれました。やっこの柿の葉寿司は創業当時から変わらず、塩を強く効かせたもの。しょっぱいサバと甘い酢飯の組み合わせが絶品です。

柿の葉寿司 やっこ(2020)農林水産省

「柿の葉寿司を買って山に入る修験者の方も多いですよ。奥駈道という険しい山道を数日かけて歩かれるので、保存食としても重宝されました。昔は作って1週間くらい経ったものをいろりで炙って食べていたそうです。今でも通の方は作りたてよりも、1〜2日おいた方が熟成されて美味しいと言いますね」

柿羊羹と柿の葉茶(2020)農林水産省

通は柿の渋さを味わう

新たな柿の食文化も広がっています。吉野に本店を構え、奈良市内など数カ所に店舗を持つ「柿の専門いしい」は、お菓子や調味料などさまざまな加工品を作り販売しています。

「他の果物に比べて、柿の加工品って珍しいでしょう? それは柿が加熱に向かないから。柿は香りが乏しく香料も作れませんし、変色もしやすい。柿の加工って本当に難しいんですよ」そう語るのは代表の石井和弘さん。

柿バターと柿ケーキ(2020)農林水産省

柿の奈良漬け(2020)農林水産省

干し柿のスイーツ(2020)農林水産省

水を一滴も使わずに作った柿羊羹、柿を煮込んで作った柿餡の最中、柿酢に柿バター、柿の奈良漬けに無農薬の柿の葉茶……これまで作った柿の商品は約60。中でも石井さんにとって思い入れが深いのが「法蓮坊柿」を使った干し柿のお菓子「郷愁の柿」。法蓮坊柿は吉野に自生する奈良固有の渋柿。渋みが強く人気がなかったのですが、逆にその渋みを生かした「郷愁の柿」はヒット商品になり、法蓮坊柿に新たな価値を見出しました。

柿の専門いしいの石井さん(2020)農林水産省

「法蓮坊柿は個人的にも大好きな品種。最初は甘い柿が美味しく感じるのですが、慣れてくると渋い柿じゃないと物足りなくなってくるんです。法蓮坊柿もそうですが、僕たちが柿の加工を始めたのは、市場に出せない柿をどうにかしたいから。柿の加工品が売れれば、その分生産者さんから高く柿を買うことができます。柿の多様な美味しさを提案し、古くから残る奈良の柿の文化を伝えていきたいんです」

提供: ストーリー

協力:
天平倶楽部
子規の庭
奈良県農業研究開発センター
柿博物館
柿の葉寿司 やっこ
柿の専門 いしい

撮影:七咲 友梨
編集・執筆:山若 マサヤ
制作:Skyrocket 株式会社

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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