次の場所
関連コンテンツを見る
草津は東海道と木曽街道の合流点・分岐点として繁栄した。図は草津宿の先にある矢倉村にあった立場茶屋である。正面の看板に「うばもちや」とあるが、うばが餅は、織田信長に滅ぼされた佐々木義賢の子を乳母が隠れて育てるために売り出したものといわれている。
美術館を探索し、Art Transfer、Pocket Gallery、Art Selfie などで芸術作品をお楽しみいただけます