ブラジルでは1910年代になると、コーヒー農園の契約労働に見切りをつけ、独立農をめざした人たちによって、日本人だけの「移住地」(自作農の集団地)がつくられはじめた。そして1920年代になると、出稼ぎではなく、はじめから定着を意図した移住地が計画されるようになる。その典型は、1925年から移住が開始されたサンパウロ州西部のアリアンサ移住地である。移民たちは長野県、鳥取県、富山県などの移住組合や民間の力行会の支援を受けて続々と入植しはじめた。そこでは「コーヒーをつくるより人をつくれ」という高い理想が掲げられ、森林を伐採し、山を焼き、農業を営んで、定着にむけての努力が必死で続けられた。