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有田焼と伊万里焼
「有田焼」の名称は江戸時代の記録に一部見られますが、一般には明治時代の1897年、有田に鉄道が開通し、伊万里津(港のこと)に代わって全国に直接出荷されるようになってから定着したものと考えられています。同様に知られている「伊万里焼」という名称は、それ以前の江戸時代、有田を中心とする肥前地域でつくられた磁器が、主に伊万里津から出荷されたために「伊万里焼」と呼ばれました。伊万里津を出発した製品は、国内向けは大坂などへ出荷され、海外向けは長崎経由で世界に輸出されました。
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