海外への輸出
有田の磁器は1647年に海外輸出がはじまります。これは、1644年の明朝から清朝への王朝交代に伴う内乱で中国陶磁の輸出が困難になり、その代替品として国内、そして海外市場(アジア、ヨーロッパ)で有田の磁器が人気を得たからです。市場のニーズに応えるために、多彩な様式が生み出されました。デザインも中国風のものに加えて和様の意匠が増えていきます。
しかし、1684年以降、中国の政情が安定すると、輸出を再開した景徳鎮などの中国磁器はたちまち海外市場を奪回。1757年にはオランダ連合東インド会社による公式な輸出が終了します。有田は国内市場の開拓、国内需要の喚起、国内販売の拡大等へと舵を切り、食生活が豊かになった町民層のニーズに応え、文様を簡略化するなどの大衆化をはかり、江戸時代の庶民の暮らしに浸透していきます。