多種多様な生産の仕組み
明治維新を迎えると、政府による殖産興業、輸出政策のもと、有田はいち早く近代化を遂げ、磁器は世界への重要な輸出品となりました。1867年にフランス・パリで開かれた万国博覧会には、すでに有田磁器が出品されています。その後も精巧な絵付け、緻密な細工、大物製品などが、ジャポニズムに沸く欧米で高く評価されました。
大正時代から昭和初期になると、産業的な磁器生産とは別に、個人作家が活躍します。作家、窯元、大量生産、ファインセラミックスなど、個人という小規模レベルから何百人単位の大規模な仕事まで、多種多様な生産の仕組みが維持されているところに、現代の有田の産地としての力強さと魅力があるといえるでしょう。