立花宗茂の月輪文具足と共に、鎧櫃に納められていた脇当。
本来ならば、急所である脇を守る部品であるため一対で作られるものだが、今は一隻のみ残っている。
その形状は、16世紀中頃まで遡る古い様式で、中央が盛り上がり、両脇上部を反らせている。鉄製で、栗色革できめ込んでおり、金蒔絵であらわされた文様は、桃山時代から江戸時時代初期に流行した高台寺蒔絵の特徴がみられる。祇園神の加護を願う守り札が、杉の枝に結びつけられ絵画風にあらわされたその文様は、宗茂の祇園神信仰を物語る遺品である。また、後に立花家の御定紋となってゆく祇園守紋の発生に関わる最も古い資料である。