歴史
千葉県南部の房州、特に現在の館山市・南房総市では、温暖な気候に恵まれ、細く節間の長い篠竹(女竹)が自生していました。その女竹を材として、明治時代からうちわの骨が制作されるようになります。うちわの骨は東京に送られて完成され、「江戸うちわ」として流通していました。しかし大正時代の関東大震災により、東京での加工が困難になると、うちわ問屋が館山市に移住。以後、完成までの全工程がこの地で行われるようになりました。
女竹の幹をそのまま柄として用いるのが「房州うちわ」の特徴です。他に、日本の三大うちわとされる「京うちわ」では、差し込まれた木を柄とし、「丸亀うちわ」では、平たい柄が用いられています。房州では、竹の下から1/3ほどのところに節がくるように切り、節から上を64等分に割いてうちわの骨とし、節から下をそのまま柄として使います。うちわ一本ずつに手間をかけ、20以上の工程を経て完成します。