直指玄端(?~1776)は江戸中期の曹洞宗の禅僧。天桂伝尊の法を嗣ぐ。天桂開創の摂津陽松庵2世となり、多くの門弟に天桂の宗風を宣揚し、また天桂の伝記『退蔵始祖天桂伝尊和尚年譜』を著した。享保12(1727)年に讃岐見性寺18世、寛延元(1748)年に宇治の興聖寺16世となる。道元の五百回遠忌に当たっては、道元の遺骨と肖像を安置する塔廟を興聖寺に建立した。宝暦3(1753)年興聖寺を退き摂津の報恩寺に入る。
本資料は直指78歳の時の書。生年不明のため年代は不明だが、「前興聖」と署名していることから興聖寺退院以後の書である。「有星皆拱北」「無水不朝東」は、万物は全てその本来性へ帰着することを表す言葉。