無聞寂端(1683~1757)は江戸中期の曹洞宗の禅僧。無得良悟の法を嗣ぐ。近江の覚伝寺・石見の瑞岩寺等を歴住し、寛延元(1748)年に長門の大寧寺32世となる。宝暦3(1753)年に大寧寺を退き、その後各地の招請に応じ教化遊行を行った。
本資料は署名に「前東蘆山大寧老無聞」とあり、無聞が大寧寺を退いた宝暦3年以降の晩年の書である。大寧寺は石屋真梁(1345~1423)によって開創され「西海第一の法城」「西の高野山」と称された古刹。戦国大名大内氏の終焉の地でもある。広大で風光明媚な景観に富み、廬山十景の佳境があり、「東廬山」とも称される。