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慶長一一年(一六〇六)、宗茂が奥州南郷(棚倉)領主となると、肥後の加藤家に預けられていた立花家旧臣は、正式に加藤家に召し抱えられた。同年、小野鎮幸は加藤清正から山鹿郡(現熊本県山鹿市)・南郷(現阿蘇市・阿蘇郡一帯)で、立花家旧臣のなかでは最高の石高となる四〇八〇石を宛行われる。慶長一一年には小野のほか、立花(米多比)鎮久など旧支城主クラスの立花家旧臣に対し、清正から知行宛行状が発給された。
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