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関ヶ原合戦では、西軍に加担した宗茂は、総大将毛利輝元の命によって京極高次が城主の近江大津城攻めに加わった。宗茂は、奪取した大津城の守りにつくが、高次が降伏した慶長五年(一六〇〇)九月一五日は関ヶ原本戦の日にあたり、敗戦の知らせを受けることになった。本史料は大津城攻めの直後、由布惟与配下の戦功を宗茂が認定したものである。袖には親成期の花押が据えられている。同年一二月二日には尚政名での史料がみられるので、本状発給から間もなく改名したと考えられる。
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