文政5年秋に柳川の文人たちの詩文を集めて巻子に仕立てたものであり、そこに素峯の画が添えられている。ここに詩をよせた文人たちの中には立花蘭斎(諱は寿淑)の名も連ねられている。9代藩主鑑賢の義弟にあたり、詩文や書に才能を発揮しながら天保2年(1831)31歳の若さでその生涯を閉じた。この巻子が制作された文政5年(1822)は、蘭斎が江戸より柳川へ戻った翌年のことである。その後の柳川での活発な文筆活動は『蘭斎閑娯』をはじめ多くの考証随筆という形となって残されているが、柳川の文人サロンでの活発な交流もうかがわせる資料である。蘭斎を中心に、当時の柳川藩を代表する儒学者安東節菴、前出の牧園茅山をはじめ柳川の名だたる文人たちがその名を連ねており、素峯は彼らとの交流がある絵師であったことが想像される