本図は、もと東京都品川区の天竜寺に、宝暦一三(一七六三)年二月一五日に寄贈された涅槃図。
この後、明治一六(一八八三)年七月一五日、曹洞宗大学林専門学本校の什物として寄贈され、現在駒澤大学で所蔵している。
現在、涅槃図の絵画と本図の由来が書かれた裏面「涅槃図之背票」とは、べつべつに軸装されている。
涅槃図は、釈迦の入滅の場面を図像化したもの。釈迦は二月一五日に入滅したとされ、
日本では古来より宗派の別に関わりなく涅槃図を掲げ、釈迦の遺徳をしのぶ涅槃会を営んできた。
本図の絵画をみると、東西南北一双のさらそうじゅ沙羅双樹の下に横たわる釈迦と、それを取り囲むように、仏弟子以外にも多数の菩薩・天・動物が配されている。
このスタイルは、日本の涅槃図の基本的な構図で、その製作には、多くの時間や費用を要したといえる。
本図を当初天竜寺に寄贈した施主は、同寺の檀家で、新橋で商家丸屋を営んでいた福岡八兵衛である。
福岡は、本図を京都四条通柳馬場の絵師望月斎富文に描かせ、京都の表具師山寿軒津田主膳に表装させている。
のちに、曹洞宗大学林専門学本校に寄贈となったが、同校は前年の一〇月一五日に麻布区北日ケ窪町に開校したばかりであった。本図は、天竜寺の檀家で、
品川の太田仁兵衛と横浜の太田治兵衛が曹洞宗大学林専門学本校の大講堂の落慶記念として寄贈したものである。なお、寄贈日が七月一五日なのはうら盂蘭ぼん盆え会の法要にちなんでのことと思われる。
以上の経緯から、本図は駒澤大学の歴史を考える上でもきわめて貴重な資料といえる。