仏乗慈僊(1798~1870)は江戸後期~明治初期の曹洞宗の禅僧。龍華道人と号す。天保6(1835)年長門の長徳寺に住持し、嘉永元(1848)年に石見の慈雲寺・栄泉寺に転ずる。同5年の道元600回大遠忌では、修行僧の指導の任に当たり法要の興隆に努めた。慶応3(1867)年相模最乗寺の輪住を務めた。
釈尊の入滅を描いた涅槃図。仏乗は道釈画(道教・仏教の絵画)に秀で、軽妙で戯画的な画風から細密なものまで幅広く描いた。大幅であり、江戸後期の禅僧が単独で描き、色彩豊かな作品として例が少ない。図の左上部に仏乗の署名があり、安政5(1858)年の作と記されている。箱書等から本涅槃図は石見国波積本郷(島根県江津市)の覚玄庵に伝来したものであることが知られる。仏乗が石見地方の寺院に足跡を残したことに由来している。