文化10年(1813)6月28日、長崎にセイロン産の牝象を載せた「阿蘭陀船」が到着した。江戸時代では、享保13年(1728)に中国船が持渡った2頭のベトナム産の象以来の上陸であった。しかし、この「阿蘭陀船」は、実はイギリス東インド総督ラッフルズが出島を奪い取るために差し向けたイギリス船であった。オランダ側は、商館長ドゥーフの努力によりこの危機をきりぬけ、出島を守りとおした。唐絵目利であった鶴洲は、出島に繋がれていた象のスケッチをもとに、いくつかの肉筆作品をのこしている。初めて見る象の形や質感を自然な筆致で捉えた本図は、彼の優れた描写力を証明する。