深江芦舟は元禄12年(1699)、京都に生まれ、豊かな幼年時代を送った。父の同僚には尾形光琳(1658-1716)のパトロンがおり、直接影響を受けた可能性もある。正徳四年(1714)、16歳のとき、父が事件に巻き込まれ、自身も京を追放となった。その後59歳で没するまでの生涯についての記録はほとんどない。本作では六曲一隻の屏風に向かって右から左へと春夏秋冬の草花を描く。躑躅の赤と菊の白を強調し、その周囲を羊歯・土筆・蕨・芒など同じモチーフが少しずつ色調を変化させることで、右から左へと刻々と移ろう日本の四季を感じさせる。また、花の蕊や葉の葉脈は金泥によって描くことで、画面にアクセントと華やかさを加えている。