太公望呂尚は紀元前11世紀頃、後に周王朝を築いた文王とその息子武王の軍師である。
紀元前11世紀、周以前の王朝「殷」はその時の王、紂王によって政治は腐敗し紂王は暴虐の限りを尽くしていた。呂尚は紂王に仕えていたが、あまりの暴虐 ぶりにあきれ殷での職を辞し、紂王を倒すためにいつか誰かが自分を求めて来るものと考え、渭水(黄河の支流)のほとりで静かに釣りをしながら暮らしてい た。
その頃、文王もまた紂王の腐敗政治に頭を悩ませていた。 そして国造りの為、有能な人物を探していた。
ある日、文王が狩りにでると渭水で釣りをしている呂尚と出会った。文王は狩りに出る前の占いで、今回の狩りの成果は何かと占ったところ「獲物は龍でも虎 でも熊でもなく、自分を補佐する人物である」と出たのを思い出した。そこで文王は呂尚と話し「我が亡き祖父、太公の時代から、やがて周に聖人が現われその 人物の助けによって国が栄えるという言い伝えがある。あなたこそが太公が望んだ人に違いない。」文王はそう言って、呂尚を館に迎い入れ、大臣に任じた。こ うして呂尚は周に仕える事となり、太公望と呼ばれることとなるのである。
文王が死去した後、その息子武王が周の領主の座を継承し、呂尚と共に長い戦いの末、殷の紂王を倒し周王朝として全中国の統治を確立したのである。
このねぶたは渭水で釣りをしている呂尚と文王が出会った場面を表したものである。
釣り好きの人を太公望と呼ぶのは、渭水で釣りをしていた呂尚が釣り竿にまっすぐな針をつけて、水面から3寸程上に垂らして魚が釣れる訳が無いにもかかわらず、魚を釣り上げたという言い伝えからも来ているものである。