本図は、右手を伸ばして飛行する真っ赤な顔の大天狗を描く。ダイナミックな姿態と蜘蛛の巣の組み合わせは、アメコミのヒーローさながら。はらはらと舞い落ちる紅葉の葉を追いかけているのだろうか。背景には、周囲に墨を塗りモチーフを白抜きで表現する外隈という技法で蜘蛛の巣が描かれている。大天狗の顔や衣服には陰影が付けられ、髪の毛の一本一本まで丁寧に描写されている。主題は明らかでないが、たとえば謡曲『大會』には、かつて蜘蛛の巣に引っかかっていた天狗(このときは鳶に化けていた)を助けた僧侶が、後に天狗から恩返しされるという話がある。北斎はこのような謡曲に着想を得て制作したのかもしれない。現在は軸装だが、元々六曲一双の屏風に貼られた十二枚組のうちの一枚で、ほかに「白坊主図」や「恵比寿図」、「大黒天図」などがあった。そのうちの一枚に「画狂老人卍筆齢八十五」という署名があることから、天保十年(1839)の制作とわかる。