右隻、松の根に腰掛けるのは、分身の術をあやつる鉄拐(てっかい)、その左奥、瓢箪を肩にかつぐのは呂洞賓(りょどうひん)。右端の高士は不明だが、左端の童子を従える高士は蘇東坡とみる説がある。左隻、川をはさんで対座するふたりについて、右の高士は陶淵明の「臨流賦詩」に基づき、左は曽祖父の陶侃(とうかん)の釣魚図ないし呂尚(りょしょう)(太公望)とみられる。
元は座敷を囲む襖絵で、建仁寺霊洞院にあったと伝えられ、引手跡がみえる。その位置から、左隻はもと襖4面分で右端が柱に接し、そこで直角に折れて右隻に図様がつながる。右隻は、より幅広の襖3面分で、右端の1面が失われている。右隻の人々が右上方に視線を向けていることから、その1面には、鶴に乗る王子喬(おうしきょう)ないし列子の飛翔する姿が描かれていたのではないかと想定されている。かなり速い運筆ながら対象は正確に形づくられており、枝先や衣紋の切れ味あざやかな力強い直線、リズミカルな曲線がすばらしい。
桃山時代随一の巨匠・狩野永徳(1543~1590)の数少ない遺作のひとつして、きわめて貴重な水墨画であり、最晩年作と目されている。