象匏文雅(1779~1840)は江戸後期の臨済宗の僧。「(木へんに黨)谷葊(庵)」と号す。木黨とはオオダラの木の意。はじめ下野樹林寺に住し、次いで妙心寺首座(修行僧の第一位)となる。天保4(1833)年樹林寺を退き、伊豆国清寺に寓し、玉鳳院塔主となった。晩年は常陸常光寺、摂津祥福寺僧堂、出雲慈円寺を歴住し、多くの者を育成した。
本達磨図は、本紙の半分以上を使って大胆に達磨を描いている。象匏の作品には、豪放な力強い画風・書体が多い。賛「直指人心 見性成仏」は、教理解説などを用いずに人の心をずばり指摘し、自己の心そのものが仏性の顕現にほかならないことを自覚させようとする禅語。「不立文字 教外別伝」とともに禅の真髄を表すスローガンとして用いられ、達磨図の賛にもしばしば用いられる。