白隠慧鶴(1685~1768)は江戸中期の臨済禅僧。駿河国出身。諸国歴参ののち大悟を自負したが、信濃飯山の正受庵の道鏡慧端に慢心を看破され、猛修行に励みついに大悟した。享保2(1717)年に駿河松蔭寺を嗣ぎ翌年には妙心寺の首座(修行僧の第一位)となるが、その後は一生出世することなく諸国を巡り道俗の教化に尽くした。後世「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」と詠われた。宝暦8(1758)年伊豆三島に龍沢寺を開き、晩年は松蔭寺と龍沢寺を往復した。
弟子には多くの逸材を輩出し、その法系は大いに発展した。以後の臨済宗の大多数は白隠の法系で占められ、臨済宗中興の祖と讃えられている著書は『白隠禅師語録』のほか多数あり、民衆教化に寄与した『夜船閑話』『遠羅天釜』などの仮名法語もある。
白隠は書画にも秀で、近世禅林墨蹟に多くの秀作を伝える。薄墨で書した技法に特徴がある。民衆を教化する際にこれらの書画を用いて平易に説いた。50歳代以降は自己の禅風を象徴的に表す独特の画風の作品を残している。白隠の作品は現在もなお多くの人々に愛されている。
七福神の一つ福禄寿は、福(子孫繁栄)、禄(財産)、寿(長寿)の三つが兼ね備わってこそ人は幸せになるという、古代中国に起きた道教から来ている神。同じ七福神の寿老人とともに南極星の化身とされる。南極星とは、りゅうこつ座の一等星カノープスを指し、中国や日本付近からでは地平線に近いところにあるために見ることが難しく、この星を見ることができたら長生きできるとされた。
白隠が得意とする次の仮名交じりの賛がある。