仙厓義梵(1750~1837)は、江戸後期の臨済宗の禅僧。円通・天民・百堂・虚白等と号す。寛政元(1789)年、福岡聖福寺の住職となりその復興に尽くした。聖福寺は建久6(1195)年に開山栄西、開基源頼朝により創建され、山門には後鳥羽上皇の宸筆による「扶桑最初禅窟」(日本最初の禅寺)の額が残る。
文化8(1811)年、聖福寺内の虚白院に隠居。坐禅に終始し、その間に書画をよくした。戯画的な画風と人の意表をつく機知に富んだ内容で禅要を説き、人々に親しまれた。白隠慧鶴とともに臨済宗の近世禅画の代表者である。
本資料は諸国修行中の西行(1118~1190)が、富士山を見る姿を描いた図。賛は西行の和歌「風になびく 富士の煙の 空に消えて ゆくへも知れぬ 我が思ひかな」の下の句を記したもの。この和歌は『新古今和歌集』に収められている。