山口雪渓(1648~1732)は狩野派の影響を受けた水墨画家。白隠・梅庵とも号す。日本と中国を代表する水墨画家・雪舟と牧渓から一字ずつ取った名という。代表作に春浦院・法輪院・源光庵の障壁画、「楓桜図屏風」(醍醐寺)、「湘八景図屏風」(シカゴ美術館)などがある。
卍山道白(1636~1715)は江戸中期の曹洞禅僧。備後国出身。月舟宗胡の法を嗣ぎ、延宝8(1680)年、月舟の後を嗣いで加賀大乗寺27世となる。10年後に退き、摂津興禅寺、山城禅定寺を経て京都源光庵を開く。元禄13(1700)年、梅峯竺信らとともにと宗統の乱れを糺すべく寺社奉行に訴え出、同16年永平寺・總持寺法度が制定された。以来「復古老人」と自称。曹洞宗中興の祖と仰がれる。
本図は唐代の僧・香厳智閑(?~898)がある日掃除していた時、突然飛んできた小石が竹を撃ち、香厳はその音によって悟りを得、両手をひろ展げて大笑したという故事に基づく禅画。卍山最晩年の80歳、正徳5(1715)年の時の賛(七言絶句)である。本図は当代一流の画家と禅僧の合作といえよう。