寂潭俊龍(一七九七〈一八〇一とも〉~一八六九)は、江戸後期~明治初期の曹洞宗の禅僧。独尊道人と号す。天保一二(一八四一)年に風外本高を嗣いで三河の香積寺二六世となり、嘉永六(一八五三)年に巨海東流を嗣いで武蔵の豪徳寺二三世を務めた。豪徳寺は井伊家の菩提所であり、桜田門外の変(一八六〇年)に際しては、大老井伊直弼の葬儀を修している。文久元(一八六一)年より、同じく井伊家菩提所である近江の清凉寺二五世に転じる。
風外本高や巨海東流らとともに、幕末期を代表する書画に秀でた禅僧で、釈尊をはじめとする祖師図や山水図を得意とした。
釈尊の下山を描いた出山釈迦図。清凉寺時代の慶応元(一八六五)年の成道会(一二月八日)での香語が賛として記されている。