古田織部(1544~1615)は安土桃山・江戸時代前期の茶人。織部流茶道の開祖。美濃国出身。宗屋・印斎と号したが、大徳寺の春屋宗園に参禅し金浦の号を与えられた。早くから千利休について茶道を学び、織部流茶道を大成させた。武将としても豊臣秀吉に仕え、九州征伐・小田原征伐に従軍した。元和元(1615)年、大坂夏の陣後、豊臣方に内通していたとの罪で切腹し、生涯を閉じた。
この書状は織部が大坂の安国寺に宛てた書状。織部は安国寺に堺で仕入れる茶入れの数やその代金について明日確認をしたい旨を伝えている。安国寺は茶入の仕入れを行っており、茶道具関係の元締めを行っていたこと思われる。