【重要文化財】
九州平定を図って北上する島津勢によって宗茂が守る立花山城は包囲され、開城を要求される。宗茂は、立花山城が「名字」の地であることや、毛利勢の援軍が間近であること、秀吉からの指示で多量の鉄砲が搬入されていることを告げてこれを拒否した。それを受けて島津勢が囲みを解いて撤兵を開始したところ、宗茂は一挙に島津方星野氏の守る高鳥居城を激戦の末落城させた。秀吉はこの戦いでの働きぶりを聞き、宗茂を「九州之一物」と賞した。この文書は秀吉から安国寺恵瓊、黒田孝高(如水)、宮木堅甫へ宛てたもので、元来黒田家に伝わったものであるが、寛文年間(一六六一~七三)に立花家が黒田家に所望して蔵するに至った。