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南部鉄器 《棗型糸目(なつめがたいとめ)》

鈴木主善堂 、撮影:大川裕弘

京都女子大学 生活デザイン研究所

京都女子大学 生活デザイン研究所
京都市, 日本

南部鉄器の近代化

盛岡、水沢とも、それぞれ盛岡藩、伊達藩の庇護の下に発展してきましたが、明治維新によりその後ろ盾を失くし衰退を余儀なくされました。しかし、鉄道などの流通インフラの整備による販路拡大や、明治政府の産業振興策である内国勧業博覧会への出品などにより、南部鉄器は再び全国的に名声を得るようになりました。
明治末には再び停滞に陥りますが、1914年には、芸術、文化に造詣の深かった旧盛岡藩主南部利淳が、南部鉄瓶の品質向上を目的として「南部鋳金研究所」を開設します。その初代所長として招聘されたのが、盛岡出身で東京美術学校の1回生として蝋型鋳金を学んでいた松橋宗明(1871-1922)でした。松橋は技術者としても指導者としても優れた手腕を発揮し、南部鉄器の技術革新を推し進め、さらに南部鉄器を芸術の域にまで高めたことは特筆されます。二代目所長の高橋萬治(1880-1942)も松橋の遺志を受け継いで南部鉄器の近代化に尽力しました。

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  • タイトル: 南部鉄器 《棗型糸目(なつめがたいとめ)》
  • 作成者: 鈴木主善堂 、 撮影:大川裕弘
  • 権利: ©鈴木主善堂
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