盛岡には製鉄のための資源や原料が豊富にあり、砂鉄、粘土、木炭や漆など、必要なものはすべて地元で調達できました。南部氏は、この地の利を生かすべく、京都や甲州から釜師、鋳物師などの職人を招請し、藩で召し抱えて産業の奨励と文化の育成を図りました。
また一方で、旧伊達藩領であった岩手県南の水沢地区(現・奥州市水沢区羽田町)も、盛岡と同様に鋳物の町として古くから知られています。その歴史は盛岡のそれより古く、平安末期の奥州藤原氏の平泉文化の時代に遡ります。
現在では、地域ブランドの登録により、盛岡市及び奥州市で作られる鉄製品を「南部鉄器」と称しています。