円通(1754~1834)は江戸後期の天台宗の学僧。無外子、普門と号す。地動説を唱える西洋天文学が広まり、天動説を唱える仏教的世界観が衰微する中、円通はインド起源の須弥山宇宙観を主張し、『仏国暦象編』等を著し、また仏教天文説を目に見える形で表わした須弥山儀や縮象儀など独自の儀器を考案した。
円通の仏教天文学は、弟子の環中禅機やその弟子晃厳に受け継がれた。のちに両人の依頼により、田中久重の手によって機械仕掛けで動く須弥山儀が製作された。弘化4年(1847)に着工し、嘉永3年(1850)に完成したといわれている。
本図は文化10(1813)年に「須弥山儀銘並序」として刊行された須弥山儀の図と解説を示した木版画に、環中禅機と晃厳が識語を記したもの。世界の中心には須弥山という巨大な山があり、その周囲を海と山が交互に取り囲んでいる。最も外側の須弥山儀の縁に当たる所は、鉄囲山と呼ばれる世界の果てにある山で、鉄囲山の内側にある大海には大小の島々がある。特に大きい4つの島が東西南北に描かれ、南方(須弥山の右下)に描かれた島が、人間の住む南瞻部洲である。
上部には円通の序、その下に環中の識語(弘化4年)と、晃厳の識語(嘉永元年)が記されている。環中は師円通の功績を顕彰し、禅機は仏教天文説の歴史を記している。環中と晃厳の識語は再版の際に寄せられたものであろう。あるいは弘化4年、翌嘉永元年の識語であることから、田中久重による須弥山儀の着工に関連していると思われる。