柳川藩2代藩主、立花家3第当主、立花忠茂(1612-1675)の肖像画。
忠茂は、初代柳川藩主・立花宗茂の実弟・高橋直次の4男として生まれ、宗茂(46歳)の養子となり、後継となるべく育てらる
26歳となる寛永14年(1637)に始まった島原の乱鎮圧のため、原城(長崎県南島原市)で父・宗茂とともに奮戦したのが、忠茂の初陣にして唯一の出陣であった。
3代将軍・家光の上意により、2代仙台藩主・伊達忠宗を父とする鍋姫と結婚。
忠茂は、承応3年(1654)に渡来した明の僧・隠元隆琦が伝え広めた、臨済宗黄檗派に深い関心を寄せる。立花家菩提寺である梅岳寺を、曹洞宗から改宗させて梅岳山福厳寺とし、その開山に領内出身の黄檗僧・鉄文道智を招請した。