隠山惟琰(1751~1814)は、江戸後期の臨済宗の禅僧。白隠慧鶴の弟子峨山慈棹の法を嗣ぐ。文化3(1806)年美濃の瑞龍寺に住持、同5年紫衣を賜り、同6年妙心寺開山関山慧玄四五〇年忌を営んだ。峻厳豪放な禅風で知られ、対照的に温厚寛容・綿密厳重な卓洲胡遷とともに、峨山下の双璧とされる。現在の臨済宗は、隠山下・卓洲下の法系で大部分が占められている。
本資料は、隠山自賛の頂相。文化6(1809)年、59歳の時のすがた。賛より、東浦山(岐阜堅相寺)主経巌典座元の求めにより自賛した頂相であることが知られる。