鞍は木地の海無(前後の輪に海・磯の段がない形式)水干鞍で前後輪の表に「妙」字を大きく金蒔絵であらわし、内側は木地に流水と沢瀉[おもだか]を蒔絵し、居木にも同様の蒔絵を施した優美な姿である。材質は、前後輪が白樫、居木[いぎ]は合歓。右居木に彫銘で花押があり、左居木に年記「寛永拾二亥乙歳 三月五日」がある。同様の花押を使用していた松村作之丞為次は、伊予宇和島藩主富田信濃守信高の家臣で馬術の達人、主家が改易となった慶長18年(1613)以後、京都で鞍打となったといわれる。所用者については不明であるが、歴代藩主所用品を保管していた御宝蔵で管理されていたことから、宗茂あるいは忠茂の所用品であった可能性は高い。