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寛永9年(1632)、加藤家改易により、細川家は肥後に国替となります。上野焼の陶工たちの中には、細川家とともに肥後へと移った人々があり、北部の山鹿(やまが)、小代(しょうだい)、熊本城下の牧崎(まきざき)、南部の八代に居住して新たな活動をはじめました。 八代へは、八代城主となった細川三斎とともに、喜蔵(きぞう)とその家族が移り住み作陶をはじめました。(※奈良木窯跡の見学には土地所有者の許可が必要です)
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