コローはパリに生まれ、パリ近郊のヴィル=ダヴレーで没した。1822年からアシル=エトナ・ミシャロンに師事し、古典的・歴史的風景画の基礎を学んだ。また師の教えに従い、直接自然に即した風景画を描くため、フォンテヌブローの森へ足しげく写生に出かけた。また、イタリアにも何度も旅行し、ローマやその周辺の古典的で知的な雰囲気に感銘した作品を多く描いた。こうした背景からコローは写実的な風景画だけでなく、古典的な風景画や抒情的な風景画など、ヴァラエティに富む画風を示した。特にサロンに《朝、妖精たちの踊り》を出品した1850年頃からは詩的で抒情的な風景画を描くようになった。
1847年の夏、体調のすぐれない父親に付き添うため、コローはヴィル=ダヴレーの実家に長く滞在した。その間、彼は庭の小さなあずまやの壁を飾る6点からなる一連の風景画を制作した。これはそのシリーズの1点で、母親の誕生日の贈り物として描かれた。絵にはコローの家族が描かれている。前景の帽子をかぶり、陽光を背にして新聞を読んでいるのは彼の父、右手奥の橋の手すりにもたれている2人の女性は母と姉と思われる。コロー自身も画帳をかかえて写生から戻ってきた姿として描かれている。また、画面中央、あずまやの前の小径には姉婿のセヌゴン氏がいて、コローを出迎えようとしている。